I am yours and you are mine


 カンナがマリアの部屋を訪れたのは、時計が深夜0時を回りきった時だった。
 悩みに悩み、ついに思い立ってここに来たのだが、時間も時間だし、これから部屋に入っても邪魔になるだけかもしれない。カンナがノックをためらって、どうしようかと悩んでいると、懐中電灯を片手に持ったマリアが廊下の隅に現れた。大神がエグゼクティブ・プロデュースの作業に没頭しているため、最近の夜の見回りはマリアの仕事になっていた。 
 「あら、カンナじゃない。まだ起きてたの?」
 「あ、ああ」
 見回りご苦労だな、マリア。
 真面目っ子はツライね、マリア。
 普段の気持ちのままならそこまで言葉が繋がるのに、今日はそれが出来ないでいる。
 「どうしたの?私に用事?何か頼まれてた事でもあったかしら?」
 「いや、その・・・・・そんなんじゃなくて」
 カンナはマリアの顔を見た。懐中電灯を手に持っている所為で、マリアの顔は逆光に影って見えた。それでもプラチナブロンドの髪は輝きを見せ、前髪の奥では翡翠の瞳が瞬いている。カンナは昼の光の中で見る彼女の姿よりも、何か別の魅力を見た気がした。
 「カンナ、どうしたの?」
 言わなくちゃ。何か言わなくちゃ。
 カンナは焦ると同時に、自分自身に心底呆れていた。悩んだ挙句にやって来て、いざという時になってさらに迷うとは。何が女格闘家か・・・・・・って、誰もそんな事は言ってなかったっけか。
 とにかく、言うチャンスは今日しかないのに、マリアは既に自部屋のドアノブを握っている。
 ちょっと待ってよ。アタイに少し時間をくれよ。
 焦るあまりにしどろもどろになりつつも、カンナがやっと搾り出した言葉は・・・・・
 「その・・・・・一杯、付き合ってくれないか」
 マリアは突然の一言にキョトンとしていたが、一度クスッと笑うと、カンナの手を引いて自分の部屋に招きいれた。

 「あら・・・・・『マッカラン』じゃないの」
 部屋に入ったマリアはカンナから酒瓶を受け取ると、グラスを二つ取り出して中身を注いだ。時々こうしてカンナが部屋を訪れるので、マリアの部屋にはグラスが常に二つある。二人で共同出資した、少々値の張るクリスタルのロックグラスだ。
 「ストレートでいいかしら?氷も水も下に行かないと無いし・・・・・ついでに言うと、つまむ様な物も無いんだけど」
 普段カンナが持ってくる酒といえば沖縄産の泡盛と相場が決まっているのだが、今日に限ってその銘柄はスコッチだった。グラスの中を琥珀色の液体で半分ほど満たすと、マリアはグラスの一つをカンナに差し出した。
 「今日も一日おつかれさま。乾杯」
 コン、とお互いのグラスがぶつかり、グラスが小気味良い音を立てた。その後マリアは直ぐにグラスを口に持っていったが、カンナはそうしようともせず、グラスの中の微かな揺らめきを眺めていた。
 「・・・・・・」
 マリアはカンナの表情を見た。床に座りマリアのベッドに背を押し付けて、両手でグラスを持っているカンナの姿が何故かやけに小さく見える。カンナがこうして部屋に来る時は大抵そうだったように、今の彼女には何か悩み事があるんだろうけれど、やはりそれも今まで同様、カンナが自分から口を開かない限りはマリアもそれについて触れようとはしないのだった。
 だがマリアには、大体の見当は付いていた。おそらく、明日の公演の事だろう。明日のクリスマス公演で、カンナは聖母役を演じる事になっていた。今回の公演については大神が全てをプロデュースする事になっており、この役柄の選出も大神の考えによる物だった。カンナにしてみれば西遊記以来の主役であり、普段は男役として舞台を踏んでいる彼女にとっては生涯初となる「女性役」である。カンナが演じる事により、聖母マリアの印象は大きく書き換えられていた。その姿には活力があり、たくましさにも似た包容力に溢れていた。だがその演出に不自然さが微塵も無いのは、そういったもの全てが普段のカンナ自身が持つ魅力だからなのだろうか。マリアは合わせの稽古で舞台に立っ時、改めて彼女の魅力を思い知った気がした。
 公演は明日に迫っていたが、本読みや舞台での通し稽古は何度も済ませてきたし、カンナの演技もまた、それぞれの回数を重ねる度に磨きがかけられていた。それでもこうしてマリアの部屋に逃げ込んできたということは、やはり相当のプレッシャーを感じているのだろう。
 カンナはまだ、何かを話すどころかグラスを口に持っていこうともしない。マリアは黙って待つことにしたが、それには少々の覚悟が必要だった。
 公演前夜だというのに、もしかしたら眠れないかもしれない。
 カンナが一度こうなると、長いのだ。
 
  マリア、怒らないかな・・・・・・。怒ったり、しないよな・・・・・。
 部屋に入ってからこっちというもの、カンナの頭の中はグルグルと回り続けるこの言葉でいっぱいだった。
 明日はクリスマスの特別公演。しかも自分が主役。しかも、生涯初の”女役”。自分のキャラクターを考えれば、それがどれだけセンセーショナルな事であり、どれだけ特別な事なのか、どれだけ大事な事なのか、言われなくても判っている。
 でも、ここに来てしまった。此処に来たからといって迷いが解ける訳でもないのに。カンナはそれを知りつつも、此処に来る事を止められなかった。
 でも・・・・・・。
 たまにチラっとマリアに視線を送るが、マリアはその様子に気づいていないのか、スコッチを手酌で空けている。まるで自分なんか此処に居ないような、何も気にしていないような、そんな素振りにも見える。カンナは自分のグラスに目を落とした。琥珀色の液体が、クリスタルのグラスの中でゆらゆらと揺れている。電気スタンドの柔らかな光を受けて輝くロックグラス。それは琥珀の宝石そのものに見えた。
 カンナはやおらグラスを口に持っていくと、一気に天を仰いだ。マリアが一瞬目を丸くしたが、そんな事にはには全然気づかなかった。思いっきり目をつむって飲み下すと、たちまち火の玉が体内を駆け巡った。それを堪えた後、唇を拭って息をつく。
 
 なんか、もう、言いたくねえなぁ・・・・・・・。
 
 胃袋の中は燃えるように熱いのに、カンナの心は、まだ動き出せないでいた。

 ・・・・・・何なのかしらね、まったく。
 マリアはスコッチを舌の上で転がしながら、目の前に座り込んでいるカンナを眺め下ろした。カンナが頭を下げているので、アタマの天辺がモロに見える。それに、朝から消えない寝癖が一つ。
 舞台の事じゃないのかしら?全然別の話なのかしら?
 私の知らない処で、貴女は何かをしでかして、それで悩んでるのかしら?
 カンナのおバカさん。何をしたのかは見当もつかないけれど、私に相談もしないでそんな事をするあなたが悪いのよ。
 ・・・・・・。
 とにかく、何か喋ってもらわないと困るわ。私も明日は早いのよ。主役の貴女だけが忙しいわけじゃないわ。
 まぁ、私は・・・・・・私は・・・・・・どうせ、私の役は・・・・・・天使(その2)ですけどね!
 マリアのスコッチは、既に3杯目を数えていた。
 

 カンナが喋り始めたのは、それから更に、お互いがグラス3杯を空けた後だった。
 正味ボトルの半分近くを空けてしまっているので、互いの言葉がどこかぎこちない上に、マリアは口を開くのがいい加減おっくうになっていた。待ちくたびれてしまったのだろうか、カンナの言葉に黙って耳を傾けている。
 カンナの言葉だけが、部屋の中をゆらゆらと彷徨った。
 

 「あのさ、マリア」
 なあに?カンナ。
 「アタイ、明日・・・・・聖母役やることになってるだろ?」
 そうね。
 「その、なんでこんな事になっちまったのか、未だによくわかんなくてさ・・・・・・」
 隊長に選ばれたのよね。
 「隊長も・・・・・・何考えてるんだか・・・・・・」
 ホントだわ、よね。
 「だって・・・・・・女役なんだぜ・・・・・・」
 でも、舞台に孫悟空が出てきたら、見に来たお客さんが怒るわよね。
 「それに主役だって・・・・・・リア王と孫悟空しかやった事ねぇのによ」
 ・・・・・・実は本気で考えてたりするのかしら?
 「だから、アタイ、聞いたんだ。隊長に」
 何を?
 「『どうしてアタイを選んだんだ』って」
 あらまあ。
 「そしたら隊長・・・・・」
 何て言ったの?
 「隊長の奴ったら・・・・・」
 だから、何て言ったのよ?
 「その・・・・・」
 早く言いなさいよ!深夜のイライラはお肌に悪いのよ!
 「き・・・・・・」
 き?
 「れ・・・・・い・・・・・なんだって」
 き・れい?綺麗ってことかしら?
 「花組の中で、一番綺麗だからなんだって」
 ・・・・・それって、多分、隊長の告白よ。
 「可笑しいよな・・・・・だって、いっつも男みたいな格好して、いっつも男みたいな事ばっかやって」
 だから、そういうところに隊長が『胸キュン』したんでしょ・・・・・・いやだ、私も言葉が古いわね。
 「いっつも組み手とかやってるんだから、隊長だって、そんなこと知ってるハズなのに」
 そういえば毎朝やってたわね。隊長ったらボロボロになるまで付き合っちゃうんでしょう?
 「男よりも強いような、そんな女なのにさ」
 それでも毎朝付き合うんだから、それってもう、"愛"よね。
 「いっつも、隊長より三倍メシ食っちまうのにさ」
 ”三杯”じゃなくて”三倍”ってのがミソよね。
 「女らしい事なんか、何にも出来やしねぇ女なのにさ」
 『恋は盲目』ってね。男が一度惚れてしまえば、何でもそう見えてしまうものなのよ。
 「なのに・・・・・・」
 何よ。まだ何かあるの?いい加減妬けてきたわ。
 「・・・・・・ひどいよ」
 ・・・・・・え?
 「全然女らしくも無いのに、綺麗だなんて言っちゃってさ」
 ・・・・・・あの、カンナ?
 「そんなの結局、誰でもいいんじゃんか」
 貴女もしかして、気づいてないの?
 「アタイなんかが綺麗なら、世の中全部が女神さまだらけだろうがよ」
 隊長が好きだって言ってくれてるのよ?そう想われてるのよ?
 「綺麗だなんて言われても、何の事だか全然わかんないよ」
 気づかないの?貴女は、貴女らしくあるだけで魅力を放つ女性なのよ?
 「綺麗になんか・・・・・・なれねぇよ・・・・・・」
 綺麗って・・・・・・外見とか、振る舞いとか・・・・・・そういう事じゃないのよ!?
 「聖母役なんか・・・・・・出来ねぇよ・・・・・・」
 カンナ・・・・・・
 「もう、どうしたらいいか・・・・・・全然わかんねぇよ・・・・・・」
 ・・・・・・。
 「こんな気持ちじゃ・・・・・・明日の主役なんて・・・・・・」
 ああ・・・・・・貴女って人は本当に・・・・・・

 
 ついにマリアが口を開いた。震える唇を一度噛み締めて、言った。
 
 「カンナ」
 マリアの声に、カンナはゆっくりと顔を上げた。両の瞳が真っ赤に染まっているのは、アルコールの所為だけでは無いだろう。その不安げな瞳が今、自分を見上げている。そう思うと、マリアの胸は早鐘を打った。
 「なんだい?」
 「その・・・・・・貴女が何を心配しているのかはわかったわ」
 「うん・・・・・・」
 「それで・・・・・・私に何をして欲しいの?どうして私に話したの?」
 そう言った瞬間に、息を呑む自分がいた。
 真っ直ぐな瞳。震える指先。
 「だって・・・・・・」
 カンナはやや俯いてマリアを視界から外すと、今までよりもずっとずっと小さい声で、言った。グラスに残っていたスコッチをまた煽る。一口だけの、最後のスコッチ。
 「こんな事話せるの、マリアしか居ないよ・・・・・」
 「カンナ・・・・・・」
 「アタイには、マリアしか居ないよ・・・・・・マリアだけだよ・・・・・・・」
 「・・・・・・」
 「だから、マリアに綺麗って言ってもらえたら・・・・・・」
 「カンナ・・・・・・貴女って人は・・・・・・」
 「その方が、アタイには嬉しいんだ・・・・・・・隊長なんかに言われるよりも」
 「カンナ・・・・・・」
 「言ってくれたら、信じるよ・・・・・・明日の公演で、アタイ、綺麗になれるよ」
 「バカね・・・・・・そんな事・・・・・・」
 「頼むよ、マリア・・・・・・一度だけでいい・・・・・・」
 「・・・・・・」
 
 もう、マリアに言葉は無かった。すっとカンナの前に歩み出て、手を取り、自分の頬に寄せた。トクトクと脈打つカンナの体温を肌で感じると、眩む程のいとおしさが彼女の心にこみ上げてきた。
 ああ、カンナ。
 可愛いカンナ。
 おバカさんなカンナ。
 私のカンナ。愛しいカンナ。
 貴女は自分に魅力がある事も知らないで、その魅力が異性をひきつける事にも気づかずに。結局、変わっていくのは自分の意識だけだというのに。
 それでも、私を頼ってくれるのね。私を見てくれるのね。
 カンナ、どうして貴女はそんなに可愛いのかしら?私のため?それとも明日がクリスマスだから、神様が特別気を使ってくれているのかしら?これは私へのクリスマスプレゼントなの?
 そんな勘違いもたまにはいいわよね、カンナ?
 だって、こんなにも貴女の事が好きなんですもの。
 マリアはカンナの手に頬擦りを繰り返しながら、何度も彼女の名を呼んだ。
 「カンナ、貴女は綺麗よ・・・・・私が言うんだから間違いない。貴女は綺麗、私より綺麗、ずっとずっと綺麗・・・・・」
 「マリア・・・・・」
 「だからカンナ、私は貴女が好きなの・・・・好きなのよ・・・・・」
 「マリア・・・・・アタイも・・・・・」
 カンナの頬を、熱いものが伝い落ちた。シーツに落ちる直前で、マリアの掌がそれを受け止めた。一粒の涙ははじめから存在しなかったかのように掌の中に溶け、見えなくなった。
 「喋らないでいいのよ、カンナ」
 「マリア・・・・・」
 「そう・・・・・私の名前だけ呼んでいて頂戴・・・・・・いつまでも、ね・・・・・・」
 マリアがカンナの頬に添えた手をずらし、指先でカンナの瞼をなぞった。されるがままにカンナは瞳を閉じた。やがて重なる唇が、心の迷いを解いてくれるだろう。いつもそうだった。そしてこれからもそうあり続けるだろうという事を、カンナはこの時知った。 
 
 それは、本当の女神の口付けだったのかもしれない。
 唇に、強いアルコールに彩られた熱い舌先の動きを感じながら、二人は同じ夢にまどろんだ。
 ”I am Yours and You are Mine.”
 ありふれた言葉だったけれど、今日という日にそれを確認できる事が二人には嬉しかった。
 何故なら今日はクリスマス。特別な日。愛の鐘が鳴る日。
 そんなバカバカしい歌の歌詞さえもが、思わずにやけてしまうほど、暖かい。
 長い口付けの終わりは、もう一つの始まり。
 もう止められない。
 更けていく夜も、差し迫る朝も、誰も。誰も。
 二人にさえ・・・・・
 

fine

Back

あとがき

 いかがでしたでしょうか?
 クリスマス前夜を舞台にした、カンナとマリアの超ラブラブな雰囲気に、自分でもにやけてしまうほどです(*^〜^*)
 多分、こんなにも純愛な話を書いたのは、自分としても初のチャレンジだったのではないでしょうか?
 ラブラブなSSも、たまにはいいものですね(笑)
 『妬けるほどの甘さ』
 堪能していただけたなら幸いです。

 2003/12/07

 fugueの小次郎