春。
 この季節を数えて幾年が過ぎただろう。
 振りかえるほどにゆく時の速さを思い知らされる。
 それを思うようになったのは・・・

 今、私はここにいる。思いの全てをそのままにして生きている。

〜再会の時〜

 私が母親になってからもう五年の日が流れた。子を授かってからというもの、私の生活は我が子を中心にしてかたち作られていた。
 子の成長を見守るのは、正直大変だった。
 我が子の一挙手に慌てふためき、その度に目くら滅法、なりふりかまわずに手探りの状態で乗り越えてきた。その度にため息の数も増えていったが、同時に沸き起こる喜びを思えば、それは些細なことにすぎなかった。
 子はすくすくと育ち、今年の春で幼稚園に上がる。本人がそれをきちんと認識しているのかは私にも分からないが、その日が近づくにつれると・・・実は今もそうなのだが・・・真新しい制服に身を寄せては、鏡の前に立つ日が増えていった。 
 「ママ?」
 子は私のことを、何処から覚えたのかママと言う。
 「ママ、ボクかっこいいかな?」
 「うごかないで、動いちゃダメよ?」
 いつもにも増してはしゃぐ子の髪を櫛で梳きながら、私はその体を出来るだけ鏡の方へ向けておくのに苦労した。
 「この服、ボクとっても好きだよ」
 「そうね。きれいな色でかわいいわ。はい、おしまい」
 「えー?おしまい?ボクもっと・・・・」
 子が私をクルリと振りかえった。尖らせた唇と膨らんだ頬のラインが私に似ている。そのときに制服のスカートの裾が、逆さにしたコーヒーカップのようにふわりと舞い上がった。我が子が女子であるにも関わらず『ボク』という一人称を使うのは、やはり遺伝なのだろうか。少なくとも私自身がその言葉を子の前で使ったことは無い。
 

 その日の昼下がり、私は仕事をキャンセルして出かける予定があった。子供には正装をさせ、私は黒いスーツスカートに身を包んで迎えを待った。
 空を見上げると眩しいほどの青空が広がり、視界の隅の方でツバメが空を横切った。
 春。
 この季節のある一日、私には思い出すことがある。
 そのことを思えば、今でも胸の奥がじんとなるのを私は抑えることが出来ないでいる。
 そして、今日がその特別な日だ。
  
 あのとき、私は軍人だった。
   
   
 帝国華激団。
 日本政府によって形成された対降魔専用の迎撃部隊。
 私のかつての生活の場であり、同時に闘いの場でもあった。
 私にとって、そこで体験したことの殆どが初めての体験だったのだが、そのときの私にはそれについての戸惑いが無かった。いや、その必要が無かったのだと言いかえてもいいかもしれない。それまでの私には、通りすぎてゆくだけの時間に意味など無かったのだから。
 華激団に所属する前、私は華激団の前身である組織「星組」にいた。私の全てはそこで『創られた』。それは自覚してるし、恥じてもいない。しかし幼年期においての記憶が著しく乏しいのは、私の心がそのときに成長を止め、感情を切り捨てることによって出来事を乗り越えてきたからだ。だから、私には「過去」・・・特に「思い出」と呼ぶべきものが存在しなかった。私が星組から花組に転属され、そこで会う皆が私を男子と勘違いしても、私には何の心の揺らめきも感じることは出来なかったのだから。
 配置されてからの暫くは、理解し難い日々が続いた。団員の士気は感じられず、くだらない話と遊びのような芝居稽古で日々を過ごしている。初の出動が命ぜられたときも、私には何の思いも浮かばなかったばかりか、隊長と呼ばれた男の手際の悪さに苛立ちを覚えたことは今も忘れない。
 しかし、この私があれほどに不快感を訴えたのは、それほどに私の周りの全ての出来事が印象的だったことを証明していたのだと、今にして思う。何故なら、それまでの私は不快感とさえ縁遠いものだったからだ。
 

 私は今、舞台女優として演技力を認められ、3年前に映画界へ転向した。
 幾つもの闘いの後、華激団としての役目を終えた私達は皆散り散りになった。在る者は軍人として昇進し、また在る者は故郷へと戻り、初代花組は事実上解散となった。もちろん帝国歌劇団としての花組は今も存在し、都民の娯楽の一つとなっている。もしかしたら現在の構成員も、降魔迎撃部隊としての任務を受けているのかもしれないが、もはや民間人である私にはその事実を知る術は無い。
 他の元団員も私同様、それぞれに家庭を持っている。時折訪れる彼女らからの手紙がそれを教えてくれる。
 
 しかし私と彼女らの違うところは、私には伴侶となるべき人間がいない事だ。
 もうこの世にはいない、という事だ。

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