「愛って、何?」

 12月。
 師走とも書くこの月は兎角誰もが忙しく、帝國歌劇団もその例外ではなかった。クリスマス公演を10日後に控え、舞台女優でもある花組の隊員達は走り回っても足りないほどの忙しさに追われていた。
 まず朝起きて食事。あわただしくそれを済ませると早速今日の流れを知らせるミーティングが始まる。その後、台詞や振り付けの確認が主体となる部分稽古があり、それが昼食まで続く。午後は通し稽古×2。夕食を取りながらの反省会+明日の打ち合わせ。それが終って初めてスケジュールから開放されるのだが、各々の稽古はそこから始まり、中には深夜まで熱心に励む者もいる。彼女達の体が持っている事が信じられなくなるほどの超ハードワークであり、事実、相当の負担が彼女達の体に襲い掛かっているのだろうが、皆、それを言葉どころか表情にすら出そうとはしない。皆、クリスマス公演を成功させるために一生懸命なのだ。
 今回の公演に関しては、女優達だけでなく大神もまた、特別多忙なスケジュールに追われていた。キャストの選出と演出をする事になったのである。大神自身、舞台に関する知識はかなり増やしてきたが、それらは全て、舞台の傍観者としての知識である。『努力次第でなんとかなるかも』という、いかにも大神らしい理由でその大役を引き受けたまでは良かったが、いざ立場を逆転させ、センスを披露する側に立つとなると、話は全く別だった。特にここ最近は大神も彼女等同様、深夜を過ぎても台本とにらめっこする日々が続いていた。
 そんなある日。
 大神がいつものようにベッドに寝そべりながら台本を広げ、赤ペンでト書きを加えていると、隊長室のドアを静かにノックする者がいた。
 「誰だい?」
 大神の問いかけに、やっと聞こえる程度の声が届いた。
 「僕。レニだけど」
 「ああ・・・・・待って。今開けるよ」
 それまで寝巻き姿だった大神はベッドから起き上がると上着を羽織り、ドアを開けた。一方のレニは、深夜になるというのにもかかわらず普段着をキチっと着込んでいる。就寝の際にもベッドを利用しようとしない、一風変わった「彼女らしさ」の一つだ。
 「もう寝るところだった?」 
 レニは大神を見上げながらそう言った。淡々とした口調に普段からの変化は無いが、大神には青い瞳に浮かぶかすかな表情が見えている。それを見取ってから、大神は笑って答えた。
 「いや、起きていたよ。それに、俺がこんな格好でいる事の方が申し訳ないくらいだ」
 「気にしないでいいよ。僕も気にしないから」
 レニは、いつでもレニらしい事を言う。大神は再び笑って答えた。
 「そうだね、君がそう言うならそうしよう・・・・・ところで、今日は?」
 「あ、うん・・・・・ここなんだけど」
 大神がレニに何かを促すと、レニは手に持っていた台本を開き、大神に差し出した。大神は頭を寄せてレニの指す箇所を覗き込む。
 実は、レニがこうやって深夜に隊長室を訪れる事が、最近の二人にとっての習慣になっていた。
 
 
 今と同じようにレニが大神の部屋を訪れたのは、一週間くらい前の事だっただろうか。やはり今と同じように大神が台本を広げていると、突然レニがやってきた。
 「隊長。意見を聞きたい事があるんだけど」
 部屋に入るなり、彼女は今回の演目である「奇跡の鐘」の台本を開いた。台詞の変更でもあるのだろうか?それとも、演出への進言?大神はそんな質問を予想していたのだが、レニの口から出た言葉は大神の予想を裏切った。
 「愛って、何?」
 その瞬間、大神は言葉を失った。そしてすぐさま思い出した。レニの持つ、他の隊員とは全く異なる経歴を。

 この帝都に訪れる以前、彼女は故郷であるドイツにて「ヴァックストゥーム計画」に加担していた。だが、当時の彼女の状況を考えると、それは『加担していた』という言葉を用いるべきではないかもしれない。ヴァックストゥーム計画は常に彼女の存在と共にあり、彼女はその計画によって『生み出された』と言っても過言にはならないだろう。
 その計画において、彼女は『実験材料』だった。人間本来の持つ霊力を人工的に高め、完全な戦闘機械を作り出すための人柱だった。研究施設にて戦闘員としての知識を埋め込まれ、戦闘行為に関する事項以外のあらゆる思考を制限された。睡眠と演習以外の時間は全て霊力のドーピングに当てられ、配給される食事よりも投薬される薬の量の方がが多かった。研究施設の人間は彼女をただ研究材料としてのみ扱い、彼女に対して一切の人間らしさを求めようとはしなかった。だから当時の彼女には友人と呼べる人間も一切無く、たまに同世代の少年少女が彼女の前に訪れても、たった数回の言葉も交わさぬうちに、彼等は彼女の前から姿を消した。
 しかしレニは、その計画に適応していた。彼女の持つ霊力がズバ抜けて高く、それによって過酷な戦闘訓練を乗り切る事が出来たのだが、人間の倫理観よりも高い霊力の存在を重要視した視研究者連中が、彼女に対しては無謀な実験を行わなかった事が彼女を生きながらえさせた理由の一つである事も忘れてはならない。技術を身に付け、殺し、その経験から再び学習し、再び殺す。血で塗り固められた完全なるルーチンワーク。彼女は与えられた目的のみをその存在理由とし、彼女がその事について何か疑問を感じる事は無かった。
 人が人に施した、余りにも残酷な仕打ち。
 「ヴァックストゥーム計画」を一言で言い表す事など出来ないが、この言葉以外に適切な言葉は見つからない。
 その後、華撃団構想における花組の前身「星組」の初代隊員としての経歴を経て、レニは現在に至る。


 「愛って、何?」
 大神と出会い、隊員達と出会い、戦闘や日々の生活を繰り返しても、レニにとって、それらは戦闘機械から少女への変革のきっかけまでに至らない。あらゆる事態が彼女にとっては初体験の出来事となるので、彼女自身どのように対応していいのか判らず、何か疑問が生じても、理解できないままやり過ごしてしまう事も少なくなかった。おそらく、彼女の心の隙間を埋めるには、その隙間が存在した時間と同じだけの時間が必要になるのだろう。
 だからこそ、なのだろうか。
 彼女は、それまで無縁であったであろう「愛」という言葉に非常に敏感だった。大神の部屋に突然やってきた彼女は、クリスマス公演の題目である「奇跡の鐘」の台本を広げると、ぶしつけに先の質問を浴びせたのだ。
 「愛?」
 「そう」
 尻上がりに繰り返した大神に、レニははっきりと頷いた。
 あまりにも意外な言葉に暫くは二の句を次げない大神だったが、レニの心境を悟ると、はっと我に返った。
 愛を知らぬ少女は、今、愛を知ろうと模索しているのだ。
 そう考えたとたんに驚きと喜びがごちゃまぜになって、大神は心を落ち着けるのに苦労した。
 「愛が何かを知りたいの?」
 「そう」真っ直ぐな瞳で見返してくる少女は、まさに純心そのものに見えた。「教えてくれないかな?」
 「ええっと・・・・・」
 言葉に詰まりながら、大神は思い返していた。
 このクリスマス公演のキャストを決定する際に、かえでは「特別な人間を選びなさい」と言った。だが、大神にとっての華撃団の隊員達という存在は、華撃団であるという時点で既に特別であり、そこから更に特別な感情を・・・・・・特に、恋愛などに関しては特別に・・・・・差し挟む余地は無いと思っていた。だから大神は、かえでの意に反するかもしれないが、物語の進行と現時点での演技力のバランスを考えて、主役の聖母役にはマリアを選出していた。それでも以降の進行を妨げるような事態も起こらなかったし、隊員の誰かが個人的に意見するような事も無かったので、大神は最終的な配役の根拠をかえでに伝える事もしなかった。
 元より、大神にとっても「愛」という言葉は未知のものだった。それは自分の人生にのみならず、他人の人生を覗き込んだとしてもも同じことだった。
 ある、という実感はあるが、存在を成しえないもの。信じる事は出来るが、証明する事は出来ない・・・・・・・
 中途半端に詩的だが、それが大神の素直な気持ちなのだった。
 「ダメかな?」
 相変わらずレニは大神を見上げている。何と正直な瞳なのだろう。その瞳に魅入られているうちに、大神の心の波はすっと引き、落ち着きを取り戻した。
 ならば自分も正直に答えれば良いのだ。自分がこの質問に対して答えられる事は余りにも少ないが、かりそめの言葉で取り繕ってもレニは満足してくれないだろうし、第一レニに対して失礼だ。
 そう心に決めると、大神はいつの間にか彼女の髪を撫でていた。
 それは愛しさなのか?
 その質問に答えられる人間はここにはいない。
 

 「・・・・・何?」大神に髪を撫でられていたレニは、いぶかしそうに大神を見返した。「どうして僕の髪を触るの?」
 大神は目を細めて笑った。
 「今の君を大切に思うからだよ」
 「その証明に髪を触るの?」
 「ちょっと、違うかな」
 「それは愛に基づく行為なの?」
 「うーん」大神はレニの頭から手を離した「どうだろう?」
 大神の言葉に、レニは少しだけ難しそうな顔をした。
 「隊長はボクの事を愛しているの?」
 「それはもちろん」そう言ってから、大神は気恥ずかしそうに微笑んだ。「大切な仲間の一人としてね」
 「仲間・・・・・華撃団の?」
 「無論そうでもあるけれど、共に生活していく仲間としての気持ちの方が強いかな」
 「欠員の心配なら無用だ。今のところボクは健康だし、仮にボクを失う事になっても賢人機関がすぐに補充要員を探すと思う」
 レニの自信たっぷりの言葉に、大神は黙って首を横に振った。
 「君の代わりなんかこの世の何処にもいるもんか」
 「隊員候補生の発掘と育成は華撃団の任務の一つであるはずだけど」
 「そうじゃない。君は『君』だ、という事だよ」
 「・・・・・・言っている意味が判らない」
 「君の持つ君自身の良さを、他人に真似する事なんか出来ないよ」
 レニは「?」と小首をかしげた。その仕草が彼女に少女的な可愛らしさを演出している事を、大神は大分前から知っていた。
 さらに眉間のしわを一本増やして、レニは大神を問い詰めた。
 「隊長はボク個人の持つ特徴や特色を必要としているの?」
 「そうでもあり、また、そうでもない」
 「隊長はそれについてボクに何かの見返りを望んでいるの?」
 「いや、特別何も望みはしないよ」
 「でも、隊長はボクの上司であり、指導者だ。ボクに何か望むものがあるんじゃないの?」
 「うーん・・・・・」なるほど、そうきたか・・・・・・とでも言いたげに、大神は自分の顎を撫でた。「君が君らしくいてくれれば、俺にとってはそれで十分だよ」
 「・・・・・・ずいぶん一方的で不毛な話だ。ボクには理解出来ない」
 「レニ」大神は、今度はレニの肩に手を置いて諭した「愛とは、そういうものだよ」
 レニは顔を更にしかめた。
 「明らかな矛盾だ」
 「そうかな?」
 「隊長の言葉が矛盾している。隊長は「そういうもの」と言いながら、具体的に説明する事を避けている」 
 大神はバツが悪そうに頭を掻いた。
 「って言われてもなぁ」
 ついに言葉を失った大神に、レニが短く息を吐いた。
 「隊長も、皆と同じなんだね」
 「皆と?」
 オウム返しに聞いた大神に、レニは説明を続けた。
 「ここに来る前に、同じ質問を他の皆にもしてみたんだ」
 「その成果は?」
 返答に期待を寄せる大神に、レニは無念そうに首を振った。
 「全然ダメだった。皆何かは言ってくれるけれど、誰の見解も明確な答えになってない」
 大神はプッと小さく噴き出してしまった。『どうして?』を連発するレニを前にして往生する隊員達の姿が目に浮かぶようだ。とても残念そうなレニの様子に気の毒とは思ったが、それはとても微笑ましい光景だったに違いない。
 大神は優しさを込めて言った。
 「そういうものなんだよ。『愛』と断定出来る感情や行為があったとしても、その『愛』そのものを断定する事は難しいのさ。感覚で感じるものだからね」
 「・・・・・・はっきり判っているのに、それを説明する事が出来ないって?」
 「そういうことに、なるのかな?」
 「・・・・・・ますます不可解だ」
 レニが更に不思議そうな顔をして大神を見上げたので、大神はここが潮時と思い、レニを部屋に帰す事にした。
 微笑ましくも誠実に、愛を模索する少女。レニ。
  「明日も来ていい?」
 出掛けにレニが言った言葉に、大神は黙って頷いた。
 

 その夜の就寝間際、大神は枕の下で腕を組み、レニへ捧げる言葉を探した。
 
 ─ レニ。
 俺が君に愛のなんたるかを語っても、君を納得させる事はおそらく出来まい。
 何故なら愛とは、他人から授かるよりも、先ず自分の中に築くものなのだから。
 もし、君が愛を知ろうとするならば。
 今の君には自分自身への愛情が足りない。
 だからレニ。
 今は一生懸命、『今』という時間に没頭しておくれ。
 そうすれば、君は君自身の愛に近づけるだろう。
 千の人に千の愛がある事をを知り、
 その中の一つとして君の愛を語り、
 その愛を人に与えられる人間になっておくれ。
 そしてそれを叶える為に、まずは自分自身を愛しなさい ─
 
 その夜、大神はレニの夢を見た。
 レニは大神の隣に立ち、純白のドレスと銀のティアラを輝かせている。
 穏やかに微笑む彼女の顔が、何処までも愛らしい。
 しかし、レニが自分の隣に立っているというシチュエーションについて大神が何かを考えるよりも早く、いつも通りの慌ただしい朝がやってきて大神をたたき起こした。
 惜しい事をしたな、と大神は思った。

 
 そんなような日があって以来、レニは台本の中に「愛」という台詞を発見する度、こうして大神の部屋を訪れている。
 レニの質問は毎回「愛」にまつわるものばかりだったが、細かい質問の中から何かを感じ取りつつあるのだろうか、質問の内容は全て異なっていた。
 今夜の質問もまだまだ先に続きそうだったが、廊下の柱時計が時刻を告げると、二人は顔を見あわせた。
 もう、起きている時間ではないようだ。
 

 「レニ」
 大神は、部屋を出ようとドアに向かったレニを呼び止めた。
 「何?」
 「レニは、天使の役だったね」
 「そうだけど、何?」
 大神は机の上から何かの書類を取り上げると、レニに見せた。それはクリスマス公演で使用されるパンフレットのゲラ刷りだった。
 「クリスマス公演には大勢の天使が登場するだろう?実は、見てもらったお客さん達に天使達の人気投票をしてもらう事になりそうなんだ」
 「それで?」
 大神は咳払いを一つして、レニの耳元に口を寄せた。
 「俺はレニが上位に食い込むと予想するけどな」
 耳元で囁かれたのがこそばゆかったのか、すっと体を交わしたレニは不思議そうな顔をして大神を見上げた。
 「ボクが?何故?」
 「選考理由が『愛らしい天使』だからさ」
 その言葉にレニはきょとんとした後、黙ってしまった。
 そしてやおらドアノブを掴むとドアを開け、大神の方を振り向かないままで言った。
 「・・・・・・もう、休む」
 背中ごしに閉じられたドア。
 あ、照れたんだな。
 と大神は思った。
 

Fine

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あとがき


 「レニと大神には、こんなクリスマスがあってもいいのではないか」
 単純にそういう理由で、この話を書きました。
 クリスマス公演前夜の話であるというのに、大神はレニを聖母役に選んではいません。
 このSSの中にも、大神がレニへ捧げる愛を思わせる描写や表現はありません。
 しかしだからといって、大神は聖母役に選んだ女性を愛しているわけでも、レニを気にしていないわけでもないのです。
 出会ってまだ日の浅い二人にとっては、単純に「まだそういう段階では無かった」というだけの話。
 少々苦し紛れかもしれませんが、レニが聖母役に抜擢されるのは、更に数年先の事となるでしょう。
 
 それではまた、次の作品でお会いしましょう。
 その日が必ず遣って来る事を信じて・・・・・・

2003/12/20
fugueの小次郎