主に諜報。
 時に暗殺。
 幅広い活躍の領域を持ち、それらについて望まれる成果は、全てベストの状態でクライアントに送り届けるのが彼等の信条。目的の為には手段を選ばず、場合によっては人命までもが必要経費に含まれる。
 『 帝國華撃団・月組 』
 華撃団構想の中に組み込まれながら、降魔迎撃部隊花組の設立と同時にその姿を闇に隠された影の集団。あらゆるシチュエーションに対して独自の判断と行使力を有し、構成員達はあらゆる技術を身につけたスペシャリストに限られる───
 天下無双の伊達男、加山雄一が率いる少数精鋭の隠密部隊である。



 「斥候待ち」



 「雨、止まないスねぇ」
 ポツリと誰かが呟いた声が、詰め所の会議室の中を漂った。室内にコの字に並べられた長机は、月組隊員の全員が席を埋めている。
 常々の任務が野外に限られている隊員達が一箇所に集まるという事は、この月組にとっては年に一度在るか無いかという珍しい出来事だ。そういった日には必ず酒宴にて日々の労をねぎらい合うのが常なのだが、今の場合はそれとは違うらしい。席に着いている隊員達の仕草姿勢は様々ではあったが、皆一様に暗い表情で口を閉ざしているのだ。
 「隊長」先程の隊員が上座に座る加山に声を掛けた。「この雨、いつまで降るんスかね?」
 加山は応えなかった。その代わり、会議室に唯一ある窓へと視線を向けた。
 梅雨時と呼ぶにはまだ季節が早く、例年ならば新緑の兆しが見え始める頃だというのに、このニ、三日の帝都は寒々しい長雨に祟られていた。特に今日の天候は雨ばかりでなく、時折強まった風が出窓のガラスを叩いている。それに気温も低かった。ビルの間に建つ建物なので窓から人の姿が見える事はないが、いつもうるさい位に聞えてくる街の喧騒がまったくと言っていいほど聞えてこなかった。『晴耕雨読』という言葉があるが、どんな酔狂者も今日ばかりはその言葉に従っているのかもしれない。
 だからといって、ここに集まった月組の隊員も同じだと言うわけではない。彼等がここに集まり、そして何もせずにいるのにはそれなりの理由があった。
 「隊長───」
 先の隊員───日下部という、月組に入隊して間もない若者───が、もう一度何かを言いかけた時、隣にいる別の隊員が日下部の脇を肘で突付き、制した。
 「いい加減にしないか」
 「だって・・・・・氷川さん・・・・・」
 子供のようにたしなめられ、日下部は口を閉じた。隣の氷川がまだ自分を睨んでいたが、日下部は極力それを気にしないようにしながら、両腕を机の上に乗せ、指先を弄び始めた。本当ならば得意の口笛でも吹いて気を紛らわせたい気分なのだが、叱責が飛んだ事で更に重くなった室内の雰囲気が彼をためらわせた。。
 「・・・・・日下部よ」
 窓に視線を向けたまま、加山が口を開いた。それまでに何の発言も無かった事もあって、全員の視線が一気に加山に集まる。
 「お前は斥候隊に志願してたっけな」
 その言葉に操られるように、今度は氷川へと視線が移動した。その圧力に耐えられずに氷川は一瞬うろたえたが、若さと持ち前の負けん気が彼を支えた。
 「新入りがいきがったマネしてっと、痛い目に合うぞ」
 机の一番端に座った隊員から声が飛ぶ。でっぷりと太り、濃い顎鬚を蓄えた男だった。
 「井出さん」
 日下部はすがるような声を上げたが、井出と呼ばれた男はさらに日下部を突き放しにかかった。
 「お前はまだ斥候の意味を判ってない」
 「でもっ、俺だって・・・・・」
 「お前に何が出来る?お前はこの月組で何を覚えた?他の連中からすれば、貴様はただ配属されただけの人間なのさ」
 井出の言葉は罵倒でも侮辱でもなく、事実だった。それだけに井出の言葉は日下部の胸に深く突き刺さった。悔しさが足の先から押し寄せてくるが、日下部にはそれを打ち消す術が無い。耐えるしかなかった。耐えるしか無いと知り、押し寄せてくる悔しさは更に嵩を増した。
 「井出さんはお前を責めているんじゃないぞ、日下部。それに、待機する事だって立派な任務なんだからな」
 「待機って言ったって・・・・・いつまでこの部屋でこうしていればいいんですか」
 「斥候待ちなんだから、仕方無いだろう?」
 井出の言葉が収まったところで、氷川は日下部に小声で話しかけた。氷川は月組の中で一番若い日下部と歳が近いが、入隊して既に数年になる男だった。いわば後輩である日下部の先行を制し、指導するのは彼の役割だったし、常々の事について忠告を与えるのも彼だった。しかし、若さという力を持つ日下部の行動は時として押さえつけようが無く、氷川は日下部が月組での生活に迷う事のないようにする為に常に気を配らなくてはならなかった。月組での生活は過酷で、常に変化する。その生活を少しでも長く楽しみたいのであれば、日下部が覚えなければならない事はごまんとあるのだ。
 「俺達に任される仕事は多岐にわたり、しかも毎回毎回、一筋縄じゃ済まない事ばっかりだ。それらに適応し遂行するには、覚えなきゃならん事が沢山ある。この斥候の役割だって、一歩間違えれば・・・・・」
 「それってつまり、人柱なんでしょ?」
 日下部が口走った言葉によって、会議室の空気がにわかに殺気立った。その若さゆえの行為に、氷川は目を閉じた。
 「日下部、貴様!」
 誰かが立ち上がって怒号を上げている。声の印象は大分違うが、あの声は月組で最も腕力の強い須加の声だろう。気の短い男なので、日下部の一言は喧嘩の引き金になりかねない。隊長は止めてくれるだろうか?そう願いつつ氷川は加山の方向を向いたが、加山は依然として腕組みしたまま、視線を窓に向けていた。
 その時、室内に備え付けられた無線電話がけたたましく鳴り響き、会議室の空気を切り裂いた。電話のそばにいた隊員が受話器に飛びつき、「状況と傾向は?」と叫んだ。受話器の向こうの相手が誰なのかは、問わずとも既に判っていた。
 「・・・・・何?もう一度言ってくれ」
 隊員は、受話器を耳に押し付けるようにして何かを聞き返している。再び報告は聞いたのだろうが、彼はもう一度聞き返した。しかし彼の焦燥の表情は変わる事無く「馬鹿な」「そんな訳あるか」「お前は何をしていた」というような言葉ばかりが口を突いている。。望む答が出るまで彼はそうし続けるつもりなのだろうか。そのやり取りは数回も繰り返された。室内はシンと静まり返り、さっきまで日下部への拳を固めていた須賀でさえもがそのやり取りを黙って見ていた。
 「貸せ」ついに加山が席を立った。「聞き返せば答が変わる訳でも無いだろう」
 加山はそう言って受話器を奪い取ると、電話の相手に向かい落ち着いた声で名乗った。
 「加山だ・・・・・何があった?定期通信の時間じゃないぞ」
 話す相手加山がに代わった事で、電話の主は多少安心したらしい。安堵のため息がザラザラした雑音を発声させ、加山の耳を突いた。嫌な予感がした。
 『隊長、斥候隊リーダーの鈴原です』
 「状況を報告しろ」
 『その・・・・・三ヶ山が、ミスって・・・・・』
 聞えてきた報告は予想を超えて悲惨なものだった。任務の遂行途中、斥候隊の5人の内の一人が判断を見誤ったというのだ。
 「三ヶ山の様子はどうなんだ」
 『命に別状はありませんが・・・・・任務からリタイヤさせるしかありません。救護班を手配しておいて下さい』
 「判った」
 『申し訳ありません・・・・・注意していれば回避できた事だったのに・・・・・』
 聞えてくる声は震えている。加山は彼の心境を察しはしたが、攻める事はしなかった。そんな事に意味は無いのだ。斥候隊の存在意義と目的は別にある。今はその事を優先させなくてはならない。
 「他に被害はあるのか?」
 安全を確認する為の一言だったのだが、電話の相手は再び押し黙った。加山が何度か促すと、斥候は再び
 『その・・・・・俺が・・・・・』
 「負傷したのか?」
 『でも、かすり傷です』
 「つまり任務の遂行には問題ないんだな?」
 『はい。俺達だけで何とかいけます』 
 強がりだとは思ったが、嘘では無さそうだ。
 「───ご苦労」そう言った後、加山は素早く続けた。「今更中断は許されない。状況が厳しいようならあらゆる手段を尽くせ。目的が達成されるならば手段と経過はかまわん」
 加山は電話を置いた。それを待っていたかのように、室内にいる隊員達の口から次々と質問が飛んできた。
 「隊長、やっぱりネタが古すぎたんじゃ無いんですか?」
 「かもしれん。しかし不備は無かったはずだ」
 加山の言葉は端的だ。会議室での彼の姿は常にそうだった。
 「不備は無かった、って・・・・・現にミスとはいえ、隊員に犠牲者が出ているんですよ!?」
 「予想外ではあったが、被害が出る事を考えていなかった訳ではない」
 「これ以上の危険は回避すべきです。彼等に与えられた命令の撤回を提案します」
 そう言ったのは須賀だった。日下部を睨んだ時とと同じ視線が、今は加山に向けられていた。
 「須賀・・・・・」
 加山は静かに須賀を見た。須賀は目をそらす事はしなかった。それ以外の者の視線が二人に集中した。
 「三ヶ山とは、同期だったな」
 「!!」
 「心配するな。奴は生きている。三日も経てば職務にも復帰してくるさ」
 「隊長・・・・・アンタって人は・・・・・」
 須賀の拳が怒りに震えた。椅子を払い飛ばしながら長机を飛び越えて、加山に向かって一気に詰め寄った。部屋の中に殺気が満ちた。
 「止めろ!」
 「落ち着け!」
 すぐさま何人かが須賀の腕と肩を押さえつけたが、須賀の左手が加山の襟を捕らえる方が早かった。そのまま振りかぶった右手を一気に叩きつけるつもりだったのだろうが、加山の一瞬の手さばきが須賀の手首を押さえつけた。須賀はままならぬと知ると、今度は大声で吠え立てた。
 「アンタのやり方は間違ってる!俺たちは───」
 「───消耗品じゃない、とでも?」
 冷ややかな言葉だった。言葉よりも、その表情に冷たさがあったのかもしれない。須賀だけでなく、須賀を押さえつけていた者達の表情までもが凍りついた。
 「俺達の任務は、俺達の主義や都合にかまってはくれない。与えられた材料が不足しているなら、それについての対策は俺達で補わなくてはならないんだ。幸いな事に判断と実行する権利は俺達に任されているが、今回の斥候隊にはそれが十分に出来なかった。お前の言うように俺たちは決して消耗品ではないが、任務に対して油断がある奴は生きてはいられない・・・・・それだけだ」  
 加山の言葉が須賀の怒気を削いだのか、先に手を離したのは須賀の方だった。
 「死ぬ覚悟はいつでもしておけ、って事ですか」
 「・・・・・そうだ」
 加山はそう言うとクルリと須賀に背を向け、自分が座っていた席に戻った。それがきっかけとなり事態は収拾した。須賀も、須賀を押さえつけていた隊員達も徐々に席に戻り、会議室は元の沈黙を取り戻した。
 「日下部」
 その方向も見ずに加山が言った。突然名を呼ばれた日下部は、驚きのあまりに起立した。
 「さっき、お前は斥候の事を人柱と呼んだな」
 「あ、あの・・・・・俺は・・・・・」 
 「口を慎め。その言葉を使う事は二度と許さん」
 「・・・・・」
 それ以上の言葉は無かった。返答する事も忘れてその場に立ち尽くしていた日下部を、氷川が促してようやく席に座らせた。
 「今以上の支援は無いんですか?本来ならば3日前に定期の支援がある筈なんですが」
 最後に氷川がそう言いながら、加山の表情を伺う。まるで加山の返答を知った上で、それでも何かを諦めきれずに別の答を求めたような素振りだった。聞かれた加山もその事に気付いたのだろう。一瞬だけすまなそうな顔を見せた後、キッパリとこう言った。
 「元々俺達はこの世には居ない事になっている人間さ。そんな人間の面倒を余計な金を支払ってまで見てやろうと言う物好きは居らんだろう・・・・・特に、金を握っている連中はな」
 この言葉を最後に、会議室は再び沈黙に包まれた。だから加山達も待った。
 幾つかの不安と疑問を胸に収めながらも、今の自分達には待つことしか許されていないのだから。



 待ちかねた斥候隊がようやく帰還したのは、それから約1時間後の事だった。
 「斥候隊、只今帰還しました」
 会議室のドアを開け、一列に並んだ彼等が一糸乱れぬ敬礼を見せる。加山も起立して一礼し、任務を終えた彼等を向かえた。
 「ご苦労だった」 
 「しかし・・・・・」
 「いや、気にするな」
 電話で報せた不手際を悔やんでいるのか、斥候隊でリーダー役となった鈴原が何かを言いかけた。しかし加山はそれ以上を言わせようとはせず、精一杯のねぎらいを込めて鈴原の肩に手を置いた。加山ばかりでなく、室内で待っていた他の隊員達の気持ちも同じだった。確かに帰ってくるはずの人数が減りこそはしたが、それについての叱責や同情を与えるよりも、被害のあった中でも任務を遂行せしめた彼等の働きを褒めたかったのだ。
 「それよりも、結果を知らせてくれ」
 「御意」
 加山に促され、リーダーが部下に指示を出す。何枚かのレポート用紙が加山に手渡され、加山が読み進めるのと殆ど同じスピードで、リーダーは内容を読み上げ始めた。
 それが待ち望んだ結果である事を祈りながら、その声に誰もが耳を澄ませ、固唾を呑んだ。
 






 
 白米、可!

 卵、不可!

 マグロ赤身、不可!

 赤身ヅケ、可!

 イカ、調理によっては可!

 エビ、カニ、不可!
 
 ウニその他魚卵、不可!

 酒類、ワイン以外可!

 調味料類、一部不可! 以上であります!

 

 
 「よーーーーっしゃぁ!!!!」
 読み上げガ終わった瞬間、会議室が一気に沸いた。隊員達はそれまでの暗い表情を一転させ、破顔一笑、互いに肩を叩き合って笑った。
 「斥候ご苦労!いやー、今回は思ったよりも多かったなぁ!普段だったら梅雨時にしかやらない事だし、前の買出しの日付けがはっきりしなかった事もあって不安だったんだが」
 加山も表情を一変させて笑っている。
 「俺はヅケが残っていれば文句はありませんよ!」
 井出がその巨体を揺すってそう言うと、一同が再びドッ湧いた。
 「偉大な殉職者に感謝して喰わなきゃな!」
 「勿論でさぁ!」 
 「しかし魚卵が全滅とはな、残念だったな!」
 「冷蔵庫がイカれてて、まともに冷気を送ってなかったんですよ。それでなくても魚卵は足が速いですからねぇ」
 「なんたって、これ以上無いってくらいの安普請だからなぁ」
 口々に思う言葉を語り笑い合う隊員達を見て、加山はパンパンと手を打って注意を集めた。ざわめきが一度静まり、ある一つの期待が込められた視線が加山に集中する。加山はその期待を裏切らぬよう、隊員達に向かって一気に指示を出し始めた。
 「日下部!斥候と一緒にもう一度厨房へ行って当座を凌ぐ分を加工して再度保存、適さない物は全て処分しろ!その後氷川と井出は余った分を寿司にして持って来い!酒はケチるなよ!」
 「って事は、これからやっと宴会ですか!?」
 日下部が顔を輝かせて聞き返した。彼の足先は既にドアの方へと向いている。判りきってはいるのだが、楽しみのあまりに確認せずには要られないというような心境なのだろう。
 「おうよ!ようやくお前の出番って訳だ!大いに呑めよ!ははははは!」
 加山の豪快な笑いが飛び、それを合図に日下部と斥候隊が駆け出す。井出と氷川が後を追い、それから10分もすると会議室は宴会場へと様変わりした。
 宴は大いに盛り上がり、加山と隊員達は大盛況の末に食欲と鋭気を満たし、後の任務に備えたという。
 
 
 「斥候隊」
 
 
 天候不順や購入月日の不明な食物によって厨房が埋め尽くされた時に編成される毒見役を、彼等はこう呼んでいる。
 
 
 
 【了】