〜夏の記憶〜
帝国海軍所属にして、帝国華激団隊長兼帝国歌劇団モギリである大神一郎にとっての帝国歌劇場は、戦闘はおろか公演も何も無い「いわゆるふつーの日」であってもなかなかどうして忙しい。
朝は帝劇の施錠を外した後に朝の見まわり。朝食までフントの散歩。
それから事務室にて伝票の整理を延々やらされる。
それが終って昼食もそこそこに今度は地下室へ。それまでの戦闘での各光武の行動実績とそのパターン、被害状況とその改善策を纏め上げて藤枝副指令および米田中将に提出しなくてはならない。その頃にはもはや日が傾きかけており、長いデスクワークのせいで体が石の如くコチコチになり、目がしばしばしてくる。
しかしまだ終わらない。
それから夕食の時間まで売店の商品の補充と陳列を手伝う。これは大神の中ではまだ楽な方だ。売店の主である売り子の椿ちゃんが作業を仕切ってくれるからだ。だから大神はそれに従い、・・・まあ、力仕事の殆どが大神に押し付けられるのだが・・・作業を進める。
「嗚呼隊長ってなんなのさ」
大神がまだそう長くは無い隊長生活の中で、何度と無く口の中で繰り返してきた言葉である。
今日も次の公演のポスターを売店の壁に貼りながら、大神は疲れた(憑かれた?)表情でため息をついていた。
「む、虚しい・・・・」
今日通算12回目のため息。口からどっと吐き出される虚無の吐息が、壁に貼りかけたポスターの裾をひらひらと舞い上がらせた。
「お・お・が・み・さん」
呼ばれた声に振り向くと、ハチマキとたすき姿の椿ちゃんが「こまったなぁ」という表情を作りながら大神を見て笑っていた。大神も半自動的に「こまったねぇ」という表情を作って、ちょっと笑って見せた。でも頬の筋肉がぎこちなく吊り上っただけで、それはおおよそ「笑顔」と呼ばれるものには程遠いものだった。
「・・・大神さぁ・・・ん」
「どしたの椿ちゃん」
「休み・・・ま・・しょう・・・か」
プロマイドの数を数えている椿の声は途切れがちだ。だがそれは頭の中の数列を整理しているからであって、大神の様に疲労困憊、息も絶え絶えになっているからではない。
「・・・ん〜・・・でも」
「でもって言ってもねえ・・・」椿はそこまで言うと、それまで整理していたプロマイドの束をテーブルでタンタンと揃えると、大神の正面に向き直った。
「だって大神さん、さっきからそのポスター逆さまなのに全然気が付いてくれないんだもん。」
「・・・・・?」
大神はまじまじとポスターを見なおした。正装のオンドレに扮したマリアがさくらの肩を抱き、空いた方の手を天に向けている絵が確かに逆さになっている。見様によっては片手て逆立ちしつつ少女を支える中国雑技団の軽業師の姿にも見えなくはないな、と大神は首を90度傾けながら考えた。ああ、でもマリアはロシア出身だから雑技団じゃなくてボリショイサーカスか。案外売れてるかもね。俺より背が高いしね、マリアは。さくらくんもかわいいから、ちょっと微笑んで見せれば「ハラショー」なんて言われてヒロイン間違いなしだ。ああそうだ笑ってりゃいいんだよ・・・それに比べて俺なんかなぁ・・・・
「ね?そうでしょう」
「ああ・・・」
「?」
「あ、あぁ〜・・・はは・・はぁ〜」
もはや「やさぐれ街道爆進中」の大神には、椿がいやみたっぷりに見せた「だめだこりゃ」のゼスチャーさえ目に入る状態ではなかった。やれやれと首を振った椿はハチマキをポーンと投げ捨てると、売店の中から勢いよく飛び出して大神に詰め寄って言った。
「大神さん。散歩いきましょう。ねっ?ちょっと外の空気を吸っておけば良い気分転換になりますよ、きっと」
「ん〜・・・」
いまだに首を90度に曲げっぱなしの大神は椿の方に振りかえるでもなく、未だにポスターを眺めていた。
「ね〜え〜おおがみさぁ〜ん!おさんぽですってばぁ〜。フントもつれていきましょうよ〜」
「ん〜・・・」
「もうっ!いぃ〜きぃ〜まぁ〜しょぉ〜う〜よぉ〜〜〜っ!!」
苛立った椿が大神の首を真っ直ぐに立て直し、肩をがっくんがっくんさせたところで大神の意識が戻った。
「っつと!?」
「よっしOK!フントー!!さ〜んぽ行くわよ〜!!」
椿はそう叫んだ後、廊下の奥に見えたかえでに『いってきま〜す』のゼスチャーを送ると、大神の襟首を後ろ手に引っつかんで玄関に向かった。
「あ!あれ!?つばきちゃん!あ、危ないって・・・・うわっ!ふ、フント!こらじゃれるなったら・・・まったく・・・」
まだ幼さの残る少女に引きずられ、かわいらしい子犬に追い立てられ・・・大神は再び「こまったねぇ」という表情を作るしかなかった。
どたばたと二人と一匹が玄関から姿を消した後、そこに残されたのは逆さになったままのマリアのポスターだけだった。真横に差し込んでくる夕暮れの日差しに照らし出されたポスターの中のマリアの表情がとても不安げに見えたのは、光線の具合によるものだったのだろうか・・・
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