大神一郎残業日報
ストップ!大神くん!の巻
大神の一日は忙しい。
でも、一日に少しだけ、大神の時間がある。
夕食後、その一日の仕事をまとめてから夜の見回りまで、数時間の空き時間が大神の貴重なプライベートだ。
しかし、その貴重なプライベートも・・・・
「中尉、中尉!今度はこちらのドレスを整理して下さいませんこと?」
「OK、この衣装棚かい?」
「あー!おにいちゃん!そんなことしたら皺になっちゃうよー」
「え?そ、そうなのか・・・・案外難しいもんだなぁ;;;」
・・・・往々にして、何某かの「侵略」を受けることが多い。
今日も今日とて、大神は衣装部屋で、すみれとアイリスに衣装整理に付き合わされていた。
本来ならば、メンバー内で決めた、週回りの当番役であるこの二人に任せておけばいいはずなのだが、「あの二人に任せておいたのでは片付くものも片付かんうちにフケちまうに違いない」という米田のもっともらしい邪推により、大神がお目付け役として任務を与えられてしまったのだ。まあ米田に言われずとも、二人のうちのどちらかに頼まれるのは目に見えていたし、そして頼まれてしまえば、その運命の行き先が変わることはないのだから、しょうがないと言えばしょうがない。
『頼まれたら嫌とはいわない親分肌』と言うよりはむしろ『パシリ』。
この悲しき片仮名3文字が、今の大神の全てを語っていた。
「・・・・それで、その飾り帽子を片付けてしまえば、おしまいですわ」
「そうか?じゃあアレで終わりだな」
片付け様のメモを見ながら指示を出していた(本来ならば、コレが大神の役目である)すみれが、部屋の隅にある大きな箱を指差した。袖を大きく捲り上げ、全身汗だくになっている大神の姿とは対極に、すみれは肩に襷を巻いてはいるものの、力仕事は全て大神に任せ、裾の縁にさえ埃の一粒も見えなかった。
「おにいちゃん、おにいちゃんってば!」
「?なんだいアイリス?」
「終わりなんだから、早くやっちゃってよー」
もう一人のパートナーである(というより、あるべき)アイリスが、大神の袖を引っ張りながら指示を出した。こちらもすみれ同様、いつものドレス姿でいるにもかかわらず、実に綺麗なものだった。
「・・・・・りょーかい」
結局、大神だけが部屋の中を右往左往していたようである。正に海軍中尉の肩書き、ここにあらず。
「まったく・・・二人とももう少し体を動かしてくれよなぁ」
大神がいかにも嫌味たっぷりにそんなことを言うと、すみれは片方の眉をピクリと吊り上げ、こう言った。
「なんですの?私はこの作業がよりスムーズに片付くようにと心を込めて配慮したのですわっ。いかにも何もしなかったみたいに言われる筋合いはございませんことよ」
「そーだよ。アイリスもお洋服たたんだりしてたもーん」
しかし大神は、その言葉に食い下がった。
「じゃあ聞くけど、そのテーブルの上に置いてあるティーセットは一体何なんだ?俺がこの部屋に入ってきたときから、君達はお茶を飲んでたじゃないか!だいたいカップは二つしかないし・・・・・」
大神の言うとおり、衣装部屋に置いてある長机には、まだホカホカと湯気を立てている2組のティーセットが、ちゃっかりと置いてあったのだ。さらにご丁寧にも、マリア特製クッキーまで添えてあった。なるほど、これではいかに大神であろうとも、穏やかではない訳だ。
「何をぶつくさおっしゃるんです!」ぐちぐちとゴネ始めた大神の言葉を、すみれはぴしゃりと遮ると、凛とした声でこう言ってのけた。
「紅茶は淑女のたしなみですわ」
「そーだよ!あたしたちレディーだもん。紅茶はかかせないんだよね〜、すみれ」
「・・・・」
もはや呆れてモノも言えない。<作者は台詞が少なくて楽だが
片付けも済み、あとは帰るだけとなった3人だが、せっかくお茶を用意してあるということと、実質大神ばかりが体を動かしていたということもあり、そのまま衣装部屋での茶会が開かれることになった。もちろん大神には新しいティーカップがあてがわれている(持ってきたのは大神だが)。マリア特製クッキーも、キッチンから取り置きの物を別に用意して、しばらくの間はのんびりとした時間が過ぎた。
波瀾を生んだのは、大神のこの一言である。
「アレは何?」大神は、壁にハンガーでつられ、その一着だけ衣装棚とは別にしてあるメイド風の衣装を指差した。「あれだけ別にしてあるってことは、あの衣装は使わないのかい?」
「・・・・あぁ『アレ』ですか・・・・アレはいいのですわ」
その大神の声に、すみれは視線も姿勢も崩さずに答えた。
「そう・・・・なの?」
あんなに綺麗なドレスなのに。
大神は喉まで出かかったその言葉を飲みこむと、再びその衣装に見入った。別にメイド趣味があるわけではなかったが(それは巴里での話)、大神がその衣装にそこまで興味を持ったのは、それが本来ならば、衣装棚どころか桐の衣装箱にいれなくてはいけないほどの見事な出来映えを誇っていたからだ。いくら力仕事が苦手なすみれであっても、舞台に使用する衣装についての配慮は完璧なはずだし、大神にはそれが不可解に思えてならなかったのだ。
「おにーちゃん、あれはねぇ」
それまで手に持っていたクッキーにかじりついていたアイリスが大神の方を向いて言った。その拍子にアイリスの口から噴射されたクッキーの粉が、まるで機関砲の如き勢いで大神の方へ飛んできたが、大神は『あえて』無視して、アイリスがクッキーを完全に飲みこむのを待った。
「アレはすみれが着る衣装だったんだよ」
「すみれ君が?・・・・・そんなお芝居あったっけ?」
「正確には『あるはず』だったのですわっ!」
すみれがティーカップを憎々しげに受け皿に叩きつけた。その表情には明らかな苛立ちが見て取れる。大神はすみれを宥めると、そのいきさつを聞き出すことにした。
すみれの話によると、アレは本来ならば前回の公演ですみれの衣装となるはずのものだったが、さくらが寸法を測る際、物差しの目盛りを、あろうことか「cm」ではなく「寸」で読んだ個所があるために寸法が合わなくなり、使い物にならなくなったのだという。しかし舞台の構成上、以前からある衣装を使用したところで差し支えはなかったので、それに気がついた客もおらず、すみれ一人が大騒ぎしただけで事は片付いたのだった。
「ふぅん・・・・」
「ふぅん・・・ではありませんわ中尉!その日のスポットライトを浴びるためにあつらえたせっかくのドレスなのにっ!あの田舎ムスメったらよりにもよって・・・・」
「まぁまぁ、その時はさくらくんだってわざとやったわけではないんだから、それでいいじゃない」
「断じて良くありませんことよっ!この神崎すみれがステージに立つというのにっ・・・・・」
「いーじゃない。すみれはどーせメイド役で、さくらが主役だったんだから、誰も見てないよ」
「こ・・・この・・・・・ガキンチョがぁ・・・・・・!!!」
大神のすぐ隣で、すみれがギリりと奥歯を鳴らした。朱を引いた美しい唇がつりあがり、怒りに震える八重歯が顔を覗かせると、その姿はさながら夜叉の如き凄まじさに取って代わった。それは衣装部屋の空気を凍りつかせ、その場にいた大神に命の危険を本能レベルで察知させるのに十分なものだった。
「ま・・・・まぁ、まあ。ドレスの話しはそれくらいにして、話題を替えようじゃないか」
大神はアイリスにかるく目配せをすると、そう言ってその場をやり過ごそうとした。
しかし、アイリスが「引き金」を引いてしまった。
「アレ、おにーちゃんなら着れるんじゃない?」
大神が手にしていた紅茶をカップごとぶちまかすのと全く同じタイミングで、椅子もろとも後方へひっくり返った。
「な、何を言い出すんだアイリス!?」
頭から紅茶をかぶった熱さなど感じぬほどに驚いた大神は、床から跳ね起きるとアイリスを見た。当のアイリスは、ジャンポールの頭に落ちる粉を無視して、相変わらずクッキーにかじりついていた。様子から判断するにして、今の発言が別に本気の提案ではないことがわかる。女の子がよく見せる、ただの他愛のない戯言に過ぎない。大神はそう結論付けると、ひとまず安心して椅子に座りなおそうとした。その時である。
「・・・・・・おもしろそうですわ、それ」
不意をついたすみれの一言に、大神は腰を下ろす位置の目測を誤り、モノの見事にすっ転んだ。その拍子に椅子の足が一本折れ、大神は余計に惨めな気分を味わう羽目になってしまった。
「す、すみれくーん・・・・君まで何を言い出すんだよっ」
「何って、言葉の通りの意味ですわっ!アイリス!遠慮しないでやっておしまいなさい!!」
「いえっさー!!」
恐らく、先ほどの件を思い出してしまったが為に、妙なところで『スイッチ』が入ってしまったのだろう。すみれの理性には、もはや大神の言葉を聞き入れる余裕などなかった。まるで獲物をいたぶるライオンのような目つきで、これからの運命に怯える大神に襲いかかる。
*しばらくの間は音声のみでお楽しみ下さい。
「さあ中尉、おとなしくなさい!日本男児でございましょう!?」
「ひ!やめないかっ!・・・・うわぁ」
<どたんばたんガシャン!>
「すみれ!足はいいから首をおさえてよ〜!」
「おほほほほ!他の誰にもみせられませんわよねぇ中尉!」
「やぁめれ〜!!!」
「んまぁ!たくましい肩幅ですこと!これならきっとお楽しみいただけましてよ♪」
<ビリビリビリ!>
「取れた!とれちゃった!」
「アイリス!ひ、引っ張るんじゃない!壊れる!」
<ゴロゴロゴロゴロ!(床を転がる音)>
「右と左が逆ですわよアイリス!」
「このぉ〜!じっとしててってばぁ!!!!」
<ピキピキどかーん!(念力爆発)>
「ぴぎゃぁああああ!!??」
「ふふふふ・・・・とぉってもお似合いですわよ〜ちゅ・う・い♪」
もうもうと部屋に立ち上がる埃が収まると、そこにはかろうじて肩で息をする、メイド服を着せられた大神の姿があった。乱れたうなじには汗がつたい、大きくはだけたドレスの裾からは、幾重にも重ねられたレースのソックスが覗いていた。・・・・・これが女性ならグっと来るところだが、残念なことに大神は男である。太もものその下、ニーソックスでも隠しきれない脛毛が、一層の不気味さを演出しており、それがまた、やけに滑稽だった。
「んまぁ、ピッタリでございますこと!」
変わり果てた大神に、すみれが高飛車な笑い声を浴びせた。そしてその周りでは、同じくアイリスが大神の顔を覗きこんでいる。
「おにーちゃん?お洋服は預かっておくからねっ」
「え?」
思わず慌てた大神。しかしアイリスの言葉に大神が振り向かぬ内に、アイリスの姿は抱えていた大神の服とともに忽然とその姿を消していた。
「あ、アイリスの奴!・・・・・すみれくん、もういいだろう?着替えを持ってきてくれよ」
見上げて懇願する大神に向かって、すみれはその顔に宿る、悪魔の如き冷笑を崩さなかった。完全に『女王様モード』に入っているようだ。
「何をおっしゃるんです?アイリスはどこかに行ってしまいましたけれど・・・・・仕上げが残っていましてよっ!!」
そう言ってすみれが大神に見せたものは、これまた幾重にも編み込まれたレースが見事な、純白のペチコートとカチューシャだった。それを見た大神は、己の身に降りかかる災厄を察知したのか、そのままの姿勢でじりじりと後退りを始めた。
「そそ・・・・そんなもので何しようってんだい?」
「もちろん決まっていますですわ・・・・・・」
その表情さえ見せず、蛇が笑った。
脚本家でも演出家でもない大神だが、このときばかりは、すみれの様子をこう表現して疑わなかった。
そして今、その蛇が動いた!
紫光の毒蛇と化したすみれの右腕が、大神の右足を絡め取る!!
「やぁめてくれぇええええ〜!!!」
「往生際が悪いですことよっ!」
引きこまれる一瞬に足を振りほどき、当たるに任せて床を蹴り、大神はドアに飛びつくと一目散に廊下に出た。しかしその間、大神の背中、そのすぐ後では、獲物を目前で取り逃がし、悔しそうに鳴らすすみれの舌打ちが何度も聞こえて来る。やばいやばい。ひじょーにやばい。
大神はドレスの裾を両手でたくし上げると、廊下を猛然と走り出した。
「誰か!誰か助けてくれ!!」
このとき、落ち着いて考えるべきだった。
いくら女性用下着を着ける事が嫌でも(別にペチコートは下着ではないが)。
異様に可愛らしい頭飾りをつけるのが嫌でも。
大神が衣装部屋にいる以上、それは密室の出来事だったのであるから。
そして大神は今、完全に説明不可能、常軌を逸した格好でいることを。
廊下を駆け抜け、猛然と階段を駆け上がり、丁度踊り場にたった辺りで、大神は二階を歩くマリアの後姿を見つけた。肩で息をしつつも、大神は声を上げようと懸命に舌を動かしたのだが、恐怖と興奮によって舌はカラカラに乾いており、紡いだ言葉を数メートル離れたマリアの所まで届けることが出来ない。意を決した大神は、迫り来るすみれを更に振り切るためにも、階段を駆け登った。
あと3メートル。
あと2メートル。大神はすがる思いでマリアに近づいていった。
「マリア・・・・!」
突如、自らの後ろに現れた大神を、『ただならぬ妖気の塊』としか察知できなかったマリアには、研ぎ澄まされた本能を制御する術は無かった。振り向くよりも遥かに早く、エンフィールドの銃口が大神の眉間を捕らえる。
そして
<バンバンバンバンバンバン!>
丁度マリアの肩に手をかけようとしていた、大神のその目の前数10cmのところで、真っ白い六発の閃光が爆発する。
その内の一発が前髪を殺ぎ落とした感触を、大神はたぶん一生拭いきれないだろう。
大神は、弾丸による強烈な耳鳴りに悶絶しながら、そのまま廊下で気を失った。
「隊長・・・・?」
朦朧とした意識がやがてハッキリすると、大神は自分がマリアの部屋のベッドに横たわっていることに気がついた。
「・・・・・」
ベッドからゆっくりと身を起こそうとすると、強烈な頭痛が大神を襲った。おそらく弾丸の衝撃波により、軽い脳震盪のような状態になったのだろう。思わず顔をしかめる大神に、マリアが済まなそうな声をかける。
「隊長、真にもうしわけありませんでした・・・・・私はてっきり、賊か何かの類かと・・・・・」
「い、いや・・・・いいのさ、別に」
大神はそう言うと、力の無い笑顔でマリアを宥めた。マリアはしばらく大神の傍にいたのだが、やおら立ちあがると、外へ出ようとドアに手をかけた。
「私は隊長の着替えを取ってきますから・・・・・・」
「・・・・・・・・・・?」
マリアは、二人の間に生まれた『間』を、次の言葉で締めくくり、ドアの向こうへ姿を消した。
「ですからせめて、それまでの間だけでもお楽しみ下さい」
「・・・・・・・・・・!」
後に残された大神に、その言葉の意味を理解する事は容易ではなかった。
言いかえれば、その意味を知ることが恐ろしかった。
しかし大神は、激しく痛む頭痛を無視して身を起こし、鏡の前に立った。
瞬間、悲鳴。
大神の発したこの悲鳴は、劇場内はおろか帝劇付近にいた全ての人たちの耳に届き、以後数年にわたる語り草になった。
鏡に映った大神のその姿は、見事にあつらえられたメイド衣装によって完全に彩られていたのだった。頭にはレースのカチューシャ、そしてドレスの裾からは可愛らしいペチコートが、純白の輝きを放っていた。
大神は、鏡の前で息の続く限りの絶叫を繰り返すと、再び意識を失い、今度は3日の間、目を覚ますことはなかった。
「まさか大神さんにあんな趣味があったなんてねぇ」
「好奇心にしちゃぁ、悪趣味だよなぁ?」
「いいから、そっとしておいてあげましょう・・・いろいろあるのよ、隊長も」
以降、帝劇には奇妙な習慣が根付いた。
新しい公演が始まる度、新調する衣装の一着だけを、劇団のサイズ表とは全く異なる寸法で発注し、桐の衣装箱に入れておくのだ。
そしてその衣装箱は、深夜、ひっそりと大神の部屋の前に置かれるのだという。
『海軍中尉、帝国華激団隊長、帝国歌劇団モギリ、女装趣味アリ』
大神に課せられた新しい肩書きに、薔薇組の面々だけが嬉々として胸をときめかせたらしい・・・・・・
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