大神一郎残業日報
「チューボーですよ!大神くん」の巻


 大神の一日は忙しい。
 でも、一日に少しだけ、大神の時間がある。
 夕食後、その一日の仕事をまとめてから夜の見回りまで、数時間の空き時間が大神の貴重なプライベートだ。
 しかし、その貴重なプライベートも・・・・
 「いかがですかぁ?」
 「(モムモム)・・・・うん」

 「中尉さーン、これモとてモおいしーデーす」
 「あ、うん・・・・・(モムモム)」

 ・・・・往々にして、何某かの「侵略」を受けることが多い。
 今日も今日とて、大神は食堂で、サクラと織姫が企画した「新メニューのケーキ」の味見に付き合わされていた。
 帝劇内にある食堂は、普段は団員達の食事かつ憩いの場として利用しているのだが、公演中は一般客を受け入れるレストランにその姿を変える。そしてそのレストランの呼び物の一つとなっているのが、月替わりの新デザートだ。これは企画の段階から全てが団員達の手によるものであり、毎月、各人からアイディアを募っては、大神ら管理職者の味見によるコンペに勝ち残った物だけが、その栄光に輝くという。お菓子好きの彼女等にとって、この企画は自分の料理の腕と芸術性を見せるチャンスでもあり、勇んでコンペに望むのだった。
 しかし今回、さくらと織姫が大神を付き合わせているのには別の事情だった。コンペに出せる新作は一人一作品である。だから、自分のアイディアの中から「これぞ」と思うものを選び出さなくてはないのだが、今回の二人はその判断を大神に任せようというのだった。まあ、本選で審査員を務める人間にこの依頼を行う事自体かなり違反に思われるのだが、そこは非情の女の戦い、栄光のためには手段を選ぶヒマは無いと見える。
 考えようによっては「未発表作品の一人占め大会」的なイベントである。
 だがしかし、今日の大神にとってはこのイベントも、もはや拷問でしかなかった。短時間に甘いものをたくさん食べ過ぎてしまった為に、味覚が麻痺してしまったのである。やれ何とかムースのストロベリーソース仕上げだの、パッションフルーツのなんとか風ナントカケーキとか言われたところで、大した違いがなくなってしまったのである。
 (大体にしてパッションフルーツって何モノだよ。時勢は太正だっつーのによ)
 嗚呼。乙女心を判らぬ男の虚しさよ。
 というわけで、大神はかろうじて笑顔と判る表情を浮かべながら、次から次へと並べられるケーキ皿をフォークでつつきまわしては、是でもなければ非でもない、ため息にも似たコメントを出していたのである。そしてこのコメントを、「審査員となるお方からのありがたいお言葉」として受け取っているさくらと織姫は、必死の思いでそれらの言葉をメモっているのだった・・・・「うん」とか「はあ」とかも含めて。

 「ところで、レニはいいの?大神さんに味見してもらわなくても?」
 丁度10個目のケーキ皿を下げたところで、さくらが口を開いた。
 今回のイベントには途中からレニとマリアが参加し始めたのだが、入ってくるなり厨房に入ったマリアに対して、レニは大神の近くに腰を下ろしただけでケーキを出す素振りを見せないのだった。これは二人にとっては気になる存在と言えよう。今回このイベントを複数の人数で同時に行う事には二つの意味がある。大神の意見を聞くことと、お互いの手の内を知り、それに対する改良の余地を探し出すすことである。もしもレニが、後者の為のみにこの場にいるのであれば、これ以上の存在は邪魔者以外の何でもなかった。
 「そうでース、レニも何かやってみせるでース」
 織姫が、明らかな苛立ちを含んだ視線をレニにぶつけた。さくらも先ほど口を開いたきり黙ったままだが、それもさくらの意思表示なのか、皿を並べるさくらの表情は硬かった。
 「うん。じゃあボクも、何か」
 レニは二人の表情を気にするようでもなくそう言うと立ちあがり、一人食堂の外へ出ていった。
 「・・・・まったくもう」
 「レニは用意してなかったんデスかねー?」
 食堂から消えるレニの背中に二人の言葉が刺さる。もし聞こえたとしてもレニは気にはすまいが、その光景を見守っていた大神は(もちろんフォークを動かしながら)、普段の二人からの言葉とは思えぬほどにゾッとする迫力を感じていた。

そして数10分後、厨房から姿を表したのは、マリアだった。

 もはやウンザリ顔を隠そうとしない大神の前に出されたケーキは、一片のチーズケーキだった。
 「お待たせしました」
 給仕を心得たメイドの如くにかしずくマリアは、たった一言だけを付け加えると、一歩下がり微笑んだ。
 「どうぞ、お楽しみ下さい、隊長」
 「ん?・・・・あぁ、いただくよ」
 それは一見、何処にでもあるようなチーズケーキだった。見たことのあるような、地味なチーズケーキだった。大神はほとんど反射的にフォークを突き立てると、無造作に口に放り込んだ。
 「・・・・・美味しい」
 「え!?」
 
「は!?」
 大神の一言に、脇に立っていた二人が色めき立つ。マリアばかりがその微笑を崩さずに、大神の後にひかえていた。
 「いかがですか?いつもとかわらぬよう、努力したつもりですが?」
 「ああ、いつもながら見事だよ。文句の付けようが無い」
 「いつもながら!?」
 
「文句の付けようが無い!?」
 会話をなぞる様にして、さくらと織姫の驚愕の叫びが、再び食堂の中に響いた。今までとは打って変わった様子でフォークを動かす大神に向かって、「ガンを飛ばす」あるいは「メンチを切る」といった目つきで睨む二人。そんな二人にマリアは、やはり微笑を崩すことなく、こう説明し始めた。
 
 「このチーズケーキは、隊長がよく自室で残業しているときに・・・・書類整理とかの時は特にね・・・・夜食として持っていってたものなの。このケーキの他に紅茶と、クッキーを添えてね。
  ホラ、血糖値が下がってくると頭が働かなくなるから、身体が自然と甘いものを欲してくるでしょう?
  はじめの内は隊長も甘いものがあまりお好きではなかったですものね?だから理解していただくのに時間もかかりましたし・・・・
  え?今は違う?・・・・・好物ですか?ふふふっ。ありがとうございます」
 
 まるで舞台の上、スポットライトが当たっているかのように「ラヴラヴ」な二人の空間。
 一欠けらも残すまいとせわしなく動くフォークの音は、さくらと織姫の歯軋りをかき消し、そして数分後も過ぎぬうちに、結局大神は一度もフォークを止めることなく、マリアのチーズケーキを完食した。
 「ああ、ご馳走さま。また今度頼むよ。また残業の時にでも」
 「かしこまりました。ではまた、いずれ」
 ケーキがあった事さえ疑わしいほどに綺麗に空になった皿を下げ、マリアは食堂を後にした。
 そして、屈辱と怒りにワナワナと震えるさくらと織姫の傍を通りすぎるときに、こう言った。
 決して大神には見られない、見せた事のない、凍てつくような氷の視線。
 「ごゆっくり・・・とでも言っておこうかしら?」
 マリアの完全勝利宣言だった。

 一時間後・・・

 「『チョコレートババロアのオレンジソース添え』でございますっ!」
 「『カスタードパイのミルフィーユ仕立て』でございまースっ!」

 「洋モノなんかに負けないわよ・・・・『甘栗餡の茶巾絞り』でございますっ!!」
 
「ちぃっ!ジャパニーズめ・・・『ブラックベリーのヨーグルトタルト』でございまースっ!!」
 女の意地か。プライドか。
 マリア去りし後の食堂は、まさに修羅場と化していた。あれからも大神の前には和洋折衷、大小様々なケーキが並べ続けられ、その量は既にテーブルの端から端までを完全に占領していた。歌劇団のメンバーが全員で食事を取るときに使うあの大テーブルである。どう考えても半端な、いや、「マトモ」な量ではない。
 「ふ・・・二人とも(ゲップ)、まだ・・やるつもり(おえっぷ)・・・なのかい?」
 大神は、喉を駆け上がって来る『激情』を押さえ込みながら、必死で二人を止めようとするのだが、今の二人にはそんなつもりは微塵もなかった。まさに鬼気迫る勢いで、二人は大神にケーキの味見を迫っていた。
 (あんな年増に大神さんを取られてたまるもんですか)
 二人の行動目的は、いつの間にやら完全にすり替わっていた。マリアと大神の親密さを見せつけられ、マリアの台詞に触発され、ケーキの味見という目的を完全に置き去りにしてしまったのである。さすがにこの雰囲気に気が付かぬほど、大神も鈍感ではない。ビリビリと肌に伝わってくる二人の気迫が、大神の居心地を更に悪いものにさせていた。気分、雰囲気ともに最悪である。
 しかし、食わねばなるまい。
 ならば、どれから手を付けようか?
 大神がフォークを上下させ、夥しいほどのケーキの皿を見回したとき、さくらが叫んだ。
 「大神さんっ!早く食べて下さい!」
 顔を真赤にさせて迫るさくら。
 「中尉さーン!日本人の男らしく、直ちに食べるでース!」
 織姫が大神のネクタイを引っ張る。
 「大神さん!」
 「中尉サン!」
 「わわっ・・・わかった、判ったから!食べるよ!食べるからさぁ!」
 顔面に数ミリまで二人の顔が迫ったところで大神が観念した。
 その時、
 「おまたせ」
 眼差し血走る3人の注目を、その一声で集めたのはレニだった。レニはこの狂乱の最中にもその表情を変えず、皿にうめ尽くされたテーブルを大きく迂回すると、大神たち3人の前に立った。
 「・・・・・置くところが無い」
 レニはそう言いながら、片手に持った皿を大神の前に差し出した。皿の上にはハンカチが被せられており、他の3人には中身が判らない。
 「あ・・・・織姫くん、さくらくん。ちょ、ちょっといいかな?」
 「・・・・判りました」
 「・・・・レニ、お先にどうぞでース」
 一瞬の真空状態の後、さくらと織姫の二人は大神から離れ、その位置をレニに譲った。しかし、レニとその皿に注がれる血走った視線は、いよいよその目尻が裂けんばかりに、いや、まるで発射寸前の波動砲の如き凄まじさを更に加速させていった。
 「・・・じゃぁ、いただこうかな。レニは何を作って来たんだい?」
 「構成する物質を調達するのに時間がかかったけど、これで完成しているはず」
 いつもながら、やけに説明的かつ端的なレニの台詞だったが、それを聞いて、大神の視線がやや落ち着きを見せた。ケーキの味見ということには変りは無いのだが、大神にはもはや鬼と化した二人が作り出した皿の山よりも、レニの持ち出してきた未知の皿の方が何倍にも魅力的に見えたのだった。
 (なによ大神さんたらそんなに私達のケーキが嫌だった訳でも食べてもらうんだからそいつも早く片付けなさいよ早く早く早く食え!)byさくら
 (マリアだけならずレニにまでもこの勝負を邪魔されてたまるもんですか最後の最後には私が勝つ絶対に負けるものか早く食え!)
by織姫
 目から活字が発射されんばかりの二人の視線が注がれる中、大神は慎重な手付きで皿の上のハンカチを取り除いた。
 
「・・・これは・・・・・・何?」
 レニの皿に乗せられていたのは、ケーキでもパイでもなかった。ましてババロアや羊羹の類でもなかった。
 それは食べ物でさえなかったのだ。皿の上に乗っていたのは、調味料のような真っ白な粉。
 「これは、胃薬」
 レニはそれのみ説明すると、黙ってテーブルの上にあった水差しを取り、大神のグラスを新しい水で満たした。
 「内臓疲労の回復と調整、老廃物の排除、栄養補給が出来るはず。食前食後食間問わず。即効だから」
 そう言いながら、レニは未だにきょとんとした表情の大神にグラスを持たせると、そのまま踵を返した。
 そして同じく、きょとんとした表情のさくらと織姫の隣に並んだとき、レニはこう言い放った。
 決して大神には聞こえない、聞かせた事の無い、機械のようなレニの声。
 「人間は必要なときに必要なものを摂取するのが一番幸せなんだ」
 レニの完全敗北勧告だった。

 「(ゴックン)・・・・あぁ、何だかスッキリしてきたなぁ」 
 「・・・・」
 「・・・・」
 「口の中もさっぱりしたし、お腹も落ち着いてきたし」
 「なら、中尉サン」
 「え?」
 「第二ラウンド、当然OKですよねぇ・・・・?」
 「・・・・・・・え?」
 「美味しかったデスかー?・・・胃薬」
 「ちょ、ちょっと・・・・」
 「とっても嬉しそうでしたねぇ・・・・胃薬」
 「いや、だから・・・・どうしたんだい二人とも、そ、そんなに怖い顔・・・・・
  ねえ、その手に持っているロープは何・・・?
  うわぁっ!?ちょ、ちょっと待ってぇ!?わ、判った!俺が、俺が悪かった!ゴメン!
  あ、謝るよ!俺が・・・・全部俺が悪かったから・・・・・
  だからもう勘弁してくれぇえええっっ!!!!」
   
 そして一時間後・・・・

 「・・・・・・(えぐあぐ)」
 
「泣ぐヒマあんだったらちゃっちゃどあがいんでば!」
 
「コレだから日本の男、だいっ嫌いでース!」
 言葉が完全に東北弁に戻ったさくらが、両手に持ったフォークで大神の口をこじ開けている。
 そしてその口の中に次々とケーキを押し込んでゆくのは、元来の価値観を取り戻した織姫。
 嗚呼・・・・。
 女の戦いは非情にして無情なり。

 この二人が大神を開放したのは、それから更に一時間が過ぎてからのことだった。
 そして大神は、しばらくの間、どんな用事があっても、どんなに遠回りになっても、食堂の前の廊下を歩く事はなかったという・・・・・