大神一郎残業日報
 朝だ徹夜だ!大神くん!の巻

 大神の一日は忙しい。
 でも、一日に少しだけ、大神の時間がある。
 夕食後、その一日の仕事をまとめてから夜の見回りまで、数時間の空き時間が大神の貴重なプライベートだ。
 しかし、その貴重なプライベートも・・・・
 「来た」
 
「何やて!」
 
「リーチ、一発、ツモ、三色、・・・・ドラ3。8000点オール」
 
「えー?このままじゃ大神さんの一人勝ちですよぉ?誰か止めて下さいー;;;」
 ・・・・往々にして、何某かの「侵略」を受けることが多い。
 今日も今日とて、大神は遊戯室で、紅蘭、加山、由里の3人と、麻雀に付き合わされていた。
 いや、この場合『付き合わされていた』というには少々の語弊があるかもしれない。何しろこの会を企画したのは大神自身だったからだ。
 普段から何かにつけて付き合わされている大神が、何故にこのような企画を立ち上げたのか?
 大神が、海軍時代からたしなんでいる数少ない娯楽が麻雀だった。当時、大神の所属していた海軍では、給料支給日を迎える度に部署や寮では大小の賭場が開かれ、男達の熱狂を誘っていたのである。そしてその環境は、大神の麻雀に対する適正と潜在能力を目覚しく発展、いや、博徒の一面を覚醒させたのであった。
 「哭きの狼」
 麻雀の王道を踏まえつつ、緻密な計算に基づいた豪快な打ち回しに名づけられた、大神の当時のあだ名である。そしてこの名前を前にして、給料日初日に経理に駆け込み、前借りをせびる海兵達が一体何人に及んだのかは皆目見当もつかないが、大神が華激団に入隊して海軍を一時的に去るまでの間、その状態は続いたのである。
 そして今日、時と場所をこの帝劇に移し、大神の一人天下の舞台が復活しようとしているのだ。
 奇しくも今日は給料日。ふところの暖かいこの3人を場に誘い出すのには、そう苦労する作業ではなかった。紅蘭など、あわよくば自分の懐を肥やさんとする腹積もりだったに違いない。しかし、それこそが大神の思う壺だったのである。この大会は大神にとって、『ささやかな仕返し』の機会なのだった。

 「あちゃ〜、キッついなぁ;;;」
 紅蘭がハコから点棒を取り出しながら、チラリと大神を見る。加山と由里も同様だ。この半荘、上がっているのは大神だけだった。しかも先の半荘で大神に振り込んだ加山など、『中、ドラ8』などというとんでもない手で叩きのめされているのである。3人の心境は察して余りあるところだろう。
 「ちょっと」洗牌と配牌を終え(ちなみに本日使用している卓は全自動卓である。もちろん紅蘭印)、親の大神がサイを持ったのを見て、加山が声をかけた。「ちょっといいか?」
 「・・・・何?」
 「ちょっとタイム」
 加山はそう言うと、由里と紅蘭を卓の脇にかき集めた。大神を打破するための作戦会議を開こうというのである。当の大神はそれを気にする様子もなく、チャラチャラと貯まった点棒を弄んでいる。強者の余裕といったところか。
 そこから少し離れた場所で、三つの額をくっつけてのひそひそ話がはじまった。

 「いいか、流れとか運とかそんな次元じゃない。ヤツの麻雀は本物だ」
 「どうするんですかぁ〜;;;私なんかもうお給料の三分の一は持ってかれちゃったんですよぅ」
 「そこで作戦がある。紅蘭、アレを使うぞ」
 「ツイに出すんか・・・・よっしゃ!そう思ってウチも持って来といたんや」
 「ね、ねぇ、アレって何です?」
 「黙って・・・・こうで、こうするだろ?そして・・・」
 

 それから数分後。
 「・・・・?」
 作戦会議を終わり、振り返って席についた3人を見た大神は、一方の眉をピクリと動かした。
 3人の表情が一転しているのである。先ほどの『ああこれからお肉やさんの店先に並べられてしまうのね』という、いわゆる『荷馬車にゆられる子牛のような目』をしていた3人の瞳が、まるで入れ替わったかの様にして輝いているのだった。それはもはや全く逆、『これからお肉やさんの店先に並べてやるから覚悟しろ」とでも言いたげな、非情に攻撃的な表情だった。
 まあ、いい。
 口の中でそう呟いた大神は、再びサイを持つと卓の上に転がした。先もその前も、トップを取ったのは俺だ。この半チャンも俺が取ってやる。今日という今日はこいつ等を生かして外に出すものか。負け犬の血反吐の花、この緑卓一面に返り咲かせてやる!
 ・・・・少々芝居がかっているのが気になるが(こういうものに対しては型から入るタイプらしい。可愛いヤツ)、大神の強気が削がれる様子はなかった。

 そして始まった半荘。大神が東場の親、下から順に加山、紅蘭、由里の並び。
 一巡目。変化なし。
 ニ巡目三巡目、変化なし。
 そしてとうとう六巡目まで、何の変化もなかった。ここまで順当なツモを続けていた大神は既にテンパイ。しかし、捨て牌から判断するに、大神以外の人間がテンパイに向かっているとは思いがたかった。先ほどに見せた3人のあの表情が、まるでブラフに思えるほど、まるで変化が無いのである。それがかえって不気味でもあったが、十巡目、大神が声を上げた。
 「ツモ。チャンタ、ドラ」
 何ともあっけない幕切れである。何の策があったのかは知らないが、結局大神の勝利は動かず、そして他の3人は、また上がれなかったのだ。牌を倒した大神は、唇を手の甲でぬぐいながら、揺るぎ無い己の勝利を確信した。
 そのときである。
 「何か」が卓の上に落ちた。
 ヒラヒラと卓上舞う、一枚の紙切れ。

 「な・・・・何だこれは?」

 写真。
 女の写真。
 裸の女の写真。
 「・・・・・マリア?」

 大神が、それが入浴時のマリアの姿であると気がついた瞬間、由里、紅蘭、加山の手から次々と同じ様な写真が投げ込まれた。それは2枚、5枚と増えてゆき、数えてみれば、丁度大神の勝ち点分と同じ点棒の数だけあった。
 「こ、これは・・・何の・・・?」
 大神が言葉を継げないでいると、顔に満面の笑みをたたえた加山が説明し始めた。
 「いやぁ、大神に出す点棒はこれで払おうと思ってねぇ」
 「そうそう、あたしたちの点棒全部をとっかえたんです♪」
 「それからなぁ大神はん。その写真、よーく見てみ」
 ニヤニヤと笑う紅蘭が、一枚の写真を差し出した。腑に落ちぬまま、大神はそれをひったくるようにして受け取ると、まじまじと眺めた。写真には、浴場の鏡の前で手桶を抱える、一糸纏わぬマリアの背中が写っている。白い肌の上を、伝うようにして湯が落ちていく瞬間を捕らえていた。
 (何で正面じゃなくて背中なんだ?)
 大神が邪にもそう考えたとき、一つの事に気がついた。
 丁度写真の中央あたり、浴室入り口の曇りガラスに薄く映る影を見つけたのだ。
 そしてそのことにハッと表情を変えて写真を投げ出すと、別の写真、更に別の写真とものすごい剣幕で写真を調べ始めた。さくら、レニ、カンナ、かえで・・・・殆んど全員を網羅したスナップショットのオンパレード。しかし、その「影」が写真全部に共通した特徴である事に気が付くと、大神の手はワナワナと震え出したのである。
 「全部、同じやで」
 紅蘭が卓に頬づえを付き、上目遣いに大神を見ている。
 「全部、アンタの写真や」
 そう。
 それは大神の覗き現場を押さえた、浴室内から大神の姿を撮影した写真だったのである。驚愕する大神に、紅蘭が話し始めた。
 「アレはどんくらい前だったか・・・・風呂場に覗きがおるんやないかいう噂が立って、風呂場の中にカメラを仕掛けたんや。ウチもその時はまさか大神はんが写るとは夢にも思ってなかったけどなぁ」
 「大神ぃ、紅蘭は隊長思いのイイ娘だぞぉ。彼女はこれを公にすると大神の立場が危うくなるからってことで、これを隠しておく事にした訳だ。俺に相談した後で」
 「そうや。由里はんの口をふさいだ後で」
 「カメラはそのままにして、ね?」
 『にや〜り』と、まるでインクの染みのように広がっていく、3人の怪しい微笑み。
 大神は黙って唇を噛み、暫くは写真を眺めていたが、やおら口を開いた。
 「で、これが何で点棒の代りになるんだ?」
 大神の疑問はもっともだった。口止め料をせがむのならば、このような回りくどい言い方ではなく、そのように言えばいいのだけのことである。しかし加山は、更にそのニヤニヤ笑いを広げながら、こう言うだけだった。
 「まあ、やれば判るさ。それと、大神はこの写真を使っちゃだめだからな」
 「?」
 「そのうち判る。そ・の・う・ち・な♪」
 いかんせん納得できない大神をよそに、3人は牌を投入口に投げ込んだ。暫くの時間を置いてから、大神もそれに習った。

 大神がその目的の意味を知るのは、その数十分後である。

 「ツモ!」
 
「お?」
 
「リーチ、チートイ、タンヤオ!!」
 室内には相変わらず、大神の激しいコールが響いていた。しかしその様相は先ほどとは比べ物にならない。今までの麻雀が、残りの3人から有り金を巻き上げるためだけのものだとしたら、今の大神は精神をギリギリまで研ぎ澄ませた博徒そのものだった。打ちまわしは先ほどとは比べ物にならないほどに冴え、連荘を繰り返し、ほとんど一人勝ちの状態を保っていた。
 「次・・・・」
 点棒替わりの写真を受け取ると、大神はそれを粗雑に放り投げた。そして乱暴に牌を崩す。
 「また大神の勝ちかぁ。やっぱりかなわないなァ」
 「ホンマホンマ。ごっつい打ちっぷりやで」
 「また一人勝ち決定ですよ、ねー?」
 それとは打って変わって、朗らかムードの3人が笑いながら牌を投入している。そしてその様子を、大神はガシガシと爪を噛みながら、忌々しそうに眺めていた。
 このムードの違いは一体何か?答えはこうだ。
 点棒が写真に入れ替わってから、大神には勝ち負けよりも重要な目的が加わった。写真の回収である。いくら普段から『Mr鈍感』で通っている大神でも、その重要性を即座に理解する事が出来た。影しか写っていないとはいえども、写真の存在は大神の存亡を脅かすのに十分なものだったからだ。写真は点棒の代用とされているので、もし大神が勝ちつづけることが出来るとするなら、写真は簡単に手元に入ってくる。だから、絶対不可能というわけでは無い。というよりも、いずれは全てが大神の元に集まる事になるだろう。
 しかし、その「勝ちつづける」という条件が非情に厳しい。『写真=点棒』ルールは、必然的に大神一人を残りの三人が狙い打ちするという状況を生み出していたのだ。しかも写真の出所は三人共通であり、大神はその写真を点棒として利用する事が許されていないのである。
 実はこれがこの計画一番の『落とし穴』だった。大神がどんなに勝ち急いだとしても、勝ちまくって八連荘とまではいかないのだ。何せ3対1なのだから、いずれは誰かに捕まる寸法になる。すると大神はその者に普通の点棒(つまり、現金)を支払う事になる。どんなに勝ちを重ねようと、半荘の間に二度、三度の負けは来る。すると清算の時にこの減額分を写真で埋めることが出来ず、結局負け分を支払う事になるのである。これが痛い。勝負が長引けば長引くほど、大神の痛手は広がっていくのである。何しろ、負けて実際に現金が出ていくのは大神一人なのだから。
 そして加えるならば・・・・・・
 「どうしてそんなに写真を用意しているんだ!!!!」
 
そう。
 大神が何処まで勝ち続けても、写真は一向に無くなる気配が無かった。実は、覗き写真は大量に焼き増しされていたのである。それも100、200という枚数ではない。驚くなかれ、大神の脇に回収された写真の山は、既にダンボールひとつ分はあろうかという量になっていたのだ。そしてその時点で、大神が始めに取り貯めていた点棒は失われ、ついには借入を繰り返すはめになっていたのである。
 「どうしてって・・・・・なんでやろな?加山はん」
 「さーて・・・・なんでだろうなぁ?大神ぃ?」
 「どうしてでしょうねぇ?大神さん?
 そろいもそろって、含み笑いで嘯く三人。大神にはそれがまた面白くない。チラリと視線を投げれば、三人の点棒入れには大神から巻き上げた点棒が山と積まれており、紅蘭など、これ見よがしに千点棒を耳にはさんだりしているのである。大神の心境は察して余りあるところだろう。
 「どーでもえーけど大神はん?点棒用意してもらわんとしょーおまへんで?」
 「わかってる!」
 「えーと次の借入で・・・・・大神さん、借入が4回目になりますよ?いいんですか?お財布カラなんでしょ?」
 「わかってるよ!」
 「大神ぃ、まさか換金レートを忘れて言ってるわけじゃないだろうなぁ?」
 「わかってるったら!!」
 のほほんとした様子の三人にそんな言葉をかけられ、額の汗が飛ぶほどにいきり立つ大神だった。

 「ぃよっしゃぁ!それローン!!」
 
「な、なに!?」
 「リーチ、チンイツ、タンヤオ、ドラドラドラドラ!」
 
「ぐぅおぁああああ!?」
 
「やるな紅蘭、親の三倍満!」

 翌日。
 朝の六時頃、遊戯室から巨大なダンボール箱3つを抱えた大神が幽鬼の如き足取りで隊長室に入っていくのを、フントの散歩に出ようとしたレニが目撃していた。
 そして同時刻、今度は隣の部屋のかえでが壁の向こうから不気味に響くすすり泣きを耳にしている。
 しかし、経理のかすみに嗚咽交じりで泣きすがり、それでも門前払いされてからのその先を、見たものはいない・・・・・・