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レニは真っ直ぐ歩いてきた。手に何も持たず、それでいて体に何か武器になるようなものが身につけられているわけでもない。いたって普段のままのレニが、トラップの狭間で待ち受けている花火とコクリコの方に向かって、静かに迫っていた。
「止まれ!レニ!」
そう高飛車に言ってのけたのは、コクリコだった。
「この廊下には、罠がいっぱい仕掛けてあるんだからね!そこで止まってくれないと、死んじゃうかもしれないぞ!」
可愛いらしい口から飛び出した「死ぬ」という物騒な言葉に、隣に立っていた花火が驚いたように眉を吊り上げた。
「い、いくらなんでも死んでしまわれては困りますよ、コクリコさん!」
「甘いなぁ、花火・・・・・・それに、ハッタリって知ってる?ああ言っておけば、誰だって少しは気後れするものだよ」
花火にしか聞こえない、ひそひそ声のコクリコの応答に、花火は安心すると同時に感心した。流石はシャノワール一のマジシャンである。言葉を利用した心理トリックというわけか。
だが、レニの歩みは止まらなかった。コクリコが二度目の警告を発しても、レニは静かに歩を進めてきた。二人の立っている間辺りを見つめている、穏やかな視線が不気味だった。そして、レニの小さな靴が床板の一枚を今にも踏もうかという時、コクリコが鋭い警告を発した。
「しゃがんで!」
警告はレニにではなく、花火の為にに発せられていた。あわてて花火がそれに従った。すると二人の頭の上を、巨大な何かが空気を切り裂くほどの猛烈な勢いで移動し、結果を想像したくなくなるような炸裂音を伴いながらレニを直撃し、吹き飛ばした。
どぐわしゃッ!!
そんな絶望的な音が聞こえてから、2〜3秒が経過しただろうか。花火がおそるおそる首を上げると、レニの体は、現れた先であった図書室の入り口辺りに横たわっていた。気付けばコクリコは既に立ち上がっていて、得意満面の笑顔で花火を見下ろしている。
「・・・・・何だったんですか、今のは?」
花火が聞くと、コクリコは答えた。
「ハンマー♪」
「ハンマー?大道具で使う、あのハンマー?」
「ううん、ちがうよ」コクリコは首を振った。「86メートル74センチ投げると、世界記録がもらえるヤツ」
「・・・・・」
花火は絶句した。次に聞こうと思っていた、そのハンマーがどのような仕掛けで飛び出したのかという質問など、完全に消えうせていた。コクリコがハンマーと呼んだものが、決して「♪」付きで記載されるような微笑ましいものではないという事は、既にこの夏、室伏広治の手によって証明されている。しかも今の衝撃音と肌に感じた勢いから想像した限り、レニの体に投げ込まれたハンマーがもし放物線を描いていたとするならば、バックスクリーンは楽に飛んでいったはずである。織田裕二もびっくりだ。
花火は、横たわるレニの体に憐憫の眼差しを送った。いくら3倍の霊力によって身体能力が高められたとはいえ、今の衝撃に耐えられるはずがない。レニはブレスレットを失う以外のもう一つの作用、意識の寸断によってこの議事空間から姿を消すだろう。どうせ仮想空間での出来事だし、感覚もそれほどでは無いはずだ。今はレニを憐れむよりも、片付けるべき問題が一つ減ったことを素直に喜んでおこう。
「・・・・・・嘘、でしょ・・・・・・? 」
花火が、もう一つの片付けるべき問題であるコクリコの事を考え始めたとき、コクリコがポツリと呟いた。コクリコの瞳は驚いたように見開かれ、先にある何かを見つめている。何事かと思った花火がコクリコの視線を追うと、花火もまた、信じられないものを見た。
ハンマーの直撃を受けたはずのレニの体が、今ゆっくりと起き上がり、再び花火とコクリコの方に向かって歩き出そうとしていた。しかもその動きは非常にゆっくりとしているがスムーズであり、ハンマーによるダメージは全く感じられなかった。
「射つんだ!花火!レニを!早く!」
コクリコの指示が飛んだ。花火は素早く矢をついで、狙いを定めた。この矢で直接レニを葬るには気が引けたが、自分の右手にも装備されている、あの忌まわしきアクセサリーを破壊すればいい。そう思うと迷いは消えた。距離は短く、造作も無いことのように思えた。
──しかし。
「・・・・・・無い!?」
この空間に存在する人間であれば必ず身に着けているはずのブレスレットは、レニの腕のどこにも見つからなかった。
だが、それは遅すぎた。花火はもう少し早くその疑問に気付くべきだった。驚いた花火の一瞬の隙を付いて、レニは膝を大きく屈めると、恐るべき瞬発力で一直線に駆けてきた。
「花火!早く!」
花火が矢を射った。射ったというよりも、指先が矢を放したと言った方が正しかった。鏃は狙いの定まらぬまま飛び出し、それでもレニの右肩を射抜いた。走りながら、レニはその傷跡を、虫刺されかなにかを気にするような風に見やると、一段とスピードを上げた。
「何で・・・・・・!?」
レニ足先が再びトラップの仕掛けられた廊下に差し掛かった。落とし穴が口を開け、竹槍を生やしたつり天井が落ち、二つ目、三つ目のハンマーがレニの体に襲い掛かった。幾つかがレニを直撃し、幾つかがかわされた。落とし穴は役に立たなかった。蓋が口を開けるより早く、レニの体は先に進んでいた。
レニが花火の腕を取った。軽く捻ってから手を離すと、軽い花火の体はポーンと宙を舞い、まだトラップの作動していない床の上に放り出された。着地と同時に床板が抜け、巨大なネコのぬいぐるみが飛び出てきたかと思うと、大きく口を開けて花火を飲み込み去って行った。毛糸で出来たぬいぐるみの口の中には、不釣合いな程に巨大が歯がびっしりと生えていた。
「花火っ!?」
コクリコが振り返えろうとしたその時には、レニの手が肩に迫っていた。コクリコは身を丸めて床を転がり、既にトラップの発動した廊下を一目散に走った。レニが勿論その後を追う。
レニとコクリコの距離は瞬時に縮まって、ついにレニの手がコクリコの燕尾服の後ろ襟に掛かった。中に着ていたシャツごと引っ張られ、コクリコはレニが花火にやったのと同じ事をやろうとしているのだと察した。首がつっかえ、息が出来なくなった。
だが、コクリコはそれでも叫んだ。被っていたシルクハット逆向きにかざし、魔法の呪文を大声で唱えた。
「出てこいシャザーン!
じゃなくて、カンナー!!」
するとどうだろう、シルクハットの中から、煙と共にアラビアン風の衣装を身に着けたカンナが飛び出してきたではないか!
「ハイハイサー!!」
カンナの登場に全く驚く様子も無く、レニは掴んでいたコクリコの後ろ襟を離すとかんなに向かって手を伸ばした。掴もうとしていたのではない証拠に、その手は抜き手の形に固められていた。
霊力増幅の影響を人一倍強く受けているのか、カンナの上腕は逞しく、レニの一撃を硬く引き締めた筋肉で弾き返した。一筋縄ではいかないということがわかったのか、それまで俊敏だったレニの動きが止まった。
「やれやれだぜ」レニの一撃を受け止めた肩の辺りを擦りながら、カンナはため息をついた。「こんなネタ、一体誰が拾ってくれるっていうんだ?」
ノンビリと呟いているカンナの足にしがみつきながら、コクリコはツインテールを振り回しながら叫んでいる。
「昭和主義はどうでもいいから、早く何とかしてよ!」
「おうよ!」
言われるまでも無い。カンナの動きは機敏だった。床板が一瞬で擦り切れるような軸足の回転を乗せた右ハイキックが、レニの体を弾き飛ばした。レニの体は壁に強く叩きつけられることになったが、カンナには最初からレニを片付ける気はなかったのだろう。コクリコの体を右腕で抱き、腰を落とすと、開いた左手で作った正拳を床に打ち込んだ。牛殺しの一撃は二階から一階への緊急通路を作り上げ、二人を穴の底へと導いた。
「・・・・・・」
ハンマーでの一撃に身を砕かれ、右肩に矢を打ち込まれ、トラップの直撃を受け、カンナのハイキックを胸に受けてもなお、レニはその場に立っていた。消えた二人を追うことはしなかった。勿論、彼女がそのつもりになりさえすれば、あの二人の所在を直ちに突き止め、追跡し、文字通りこの世界から抹消することが出来るだろう。
だが、それをしなかった。何故なら──
「よーっしゃ!ようやったでぇ、28号!とりあえずは上出来や!」
──命令されなかったからだ。
図書室のドアが開き、そこから出てきた紅蘭がパンパンと手を叩きながら、28号と呼ばれたレニの健闘を称えた。紅蘭の背後にはもう一つの人影があった。銀色の巻き毛と瑠璃色の瞳、ブルーのカーディガンに布のチョーカーをあしらったその少女の姿は、たった今、3人を相手に死闘を繰り広げたレニと同じ姿をしていた。その手には操縦桿のような巨大な装置が握られている。
得意顔の紅蘭が、傷ついたレニの肩を叩きながら、操縦桿を握っているレニに向かって言った。
「どや?ウチが生み出した戦略レニ型アンドロイド、名づけて『Rくん』の力は!」
レニは操縦桿のレバーとダイヤルを慎重に調節しながら、どこか冷めたような、諦めたような、平坦な声で言った。
「わかってはいたけど、そのネーミングセンスは何とかならないの?」
「そんなもん、ええがな!とりあえずは!」
何を言われても紅蘭は上機嫌だ。レニと同じ姿形をしたアンドロイドの肩を、労をねぎらうようにポンポンと叩いている。
紅蘭が図書室に持ち込み、レニ本人と一緒になって調節していた新兵器というのが、このアンドロイドだったのだ。アンドロイドに仕込まれたカメラから流れてくる映像を見ながら、図書室の中でレニが操縦桿を弄っていたのである。
レニは、目の前で並んで立っている紅蘭と、自分と同じ顔をして、自分以上の力を持っているアンドロイドを交互に見た。コクリコとカンナは姿を消してしまったが、このからくりにまで気付かれた様子は無い。今すぐ追いかけるよりも、こちらの方を警戒させておいたほうがいいだろう。それよりも今、レニにはもう一つの気にしなければいけない事があった。
「レニはん、そろそろ行きましょか。次のヤツを仕留めてやるんや」
「了解」
紅蘭が場所の移動を提案した。それがきっかけになった。
レニが操縦桿のレバーとダイヤルを素早く捻った。その信号にアンドロイドは正確に反応した。小さく身をかがめると腕を引き、脇に立っていた紅蘭の右顎に強烈な掌打を与えた。紅蘭の細い頚椎はその衝撃に耐え切れなかった。折れ曲がった首を大きく仰け反らせ、勢いのまま真後ろに倒れた。ブレスレットが装備された右腕を、ローファーを履いたシルスウス製の踵が床まで踏み抜いた。
最後の一撃は必要なかったのかもしれない。もはやピクリとも動かなくなった紅蘭の体を、二人のレニが見下ろしていた。
「ありがとう、紅蘭。君の恩は忘れないよ・・・・・・この、もう一人のボクさえいれば、君はもう必要無いんだ」
レニの声には身も凍るような冷淡さが篭っていた。アンドロイドの方が、表情が無い分人間らしくさえ見えた。もしその場に彼女達以外の人間がいたとするならば、誰もがそのように見ただろう。
紅蘭の消失を待つことなくレニがその場を立ち去ろうと、アンドロイドの操縦桿を操った。その時だった。
「・・・・・・?」
アンドロイドが、その場から動こうとしない。歩行のための操作をもう一度思い出し、レバーとダイヤルをもう一度、正確に操作した。それでもダメだった。レニは怪訝にアンドロイドの姿を見やった。足の動きがおかしい。
アンドロイドの右踝が、半分砕けたような紅蘭の右手によって拘束されていた。右手がアンドロイドの踝を握りつぶした。バチッと火花が散り、内部組織が露になる。レニはあわててレバーを操作したが、何もかもが間に合わなかった。紅蘭の左手がアンドロイドの右膝を握りつぶすのと、太腿を腰から根こそぎ引きちぎったのは殆ど同時だった。
「バカなっ!?」
動力系が腰部に集中していたのか、アンドロイドはレニの命令を受け付けなくなった。仮に受け付けたとしても、アンドロイドが役割を果たすことはなかっただろう。それは本物のレニも同じだった。完全に身を起こした紅蘭がレニを一瞬の早業で押し倒し、馬乗りになると、砕けた右手を振りかざした。
妙な角度にずれた顎をぶら下げながら、紅蘭が喉の奥から声を出した。
「甘いな・・・・・本当の虎の子は、人に渡さんもんやで」
高低の微妙に外れたその声は、電子そのものの響きを持っていた。
──そうか。
──そういうことだったのか。
レニはようやく理解した。はじめから、自分が紅蘭を出し抜くことなど不可能だったのだ。第一、人形相手に謀を打つなどとは、何の遊びにもならないではないか・・・・・・だが、そのように理解したところで、レニはもう何も出来なかった。自分の全ての能力が目の前にいる紅蘭に凌駕されているということは、彼女の目にも明らかだった。
赤と緑のリード線を露出させた紅蘭の右手が自分のブレスレットに打ち下ろされるのを、レニはただ、呆然と見守った。
【残り8人】
北大路花火 ─再起不能─
レニ・ミルヒシュトラーセ ─再起不能─
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