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そしていくばくかの時が流れ、ついに2月の13日。
言わずもがなバレンタインの前日。帝劇地下の作戦司令室には、かえでの非常召集によって花組の全員が集められていた。
「なぁ、何かおかしくねえか?」
カンナは誰に言うとも無く呟いた。サイレンこそ鳴らなかったものの、非常召集というふれこみもあって一応は戦闘服を着用したはいいが、その雰囲気の無さに彼女は戸惑っているようだった。それもそのはず、召集が掛けられた作戦司令室にはかえでの姿も無く、街を破壊する降魔がモニター画面に映し出されている風でもなかった。それに最も不可解なのは、召集からいくら時間が経過しても大神が姿を表さないのだった。
「おかしいって。絶対」カンナがイライラしたように繰り返し、自分の掌を拳で打った。「誰か何か聞いてねえのか?」
カンナの声に真っ先に反応したのはさくらだった。同じく戦闘服に身を包んではいるものの、その様子はどこか落ち着きが無かった。
「私、何も聞いてませんでしたよ。これってもしかして、訓練なんじゃないんですか?」
直ちに反論が上がった。レニと織姫だ。
「在り得ない。シューターを潜るだけの訓練なんて」
「そうでース!第一、訓練なら昨日のうちに連絡があるはずデしょー?」
二人の意見を、マリアがなんとなく肯定した。
「そうね・・・・・朝のミーティングでは、私も何も聞かされていないわ」
そのまま5分が過ぎた。
すみれは先ほどから入り口や演算室の奥を覗き込んだりしていたが、いずれにも大神の気配が無いと知ると、途端に憤慨し始めた。
「私、お先に失礼させていただきますわ!」ダン!と踵を床に打ちつけて、全員を見渡しながらそう言った。「冗談じゃありませんわ全く!何もないというのなら此処に居る理由などありませんもの!」
その苛立った声に、アイリスがぴょんぴょんと飛び跳ねて反応した。
「そうだよー!アイリス、すみれとお買い物に行くんだもの!早くしないと売り切れちゃうよ〜!」
突然飛び出した「買い物」というキーワードに、今度は紅蘭が反応した。
「買い物って、何処に何を買いにいくん?」
「んっとねー、三越にチョコレート買いに行くの」
ざわ・・・・・
別にそういう音が聞こえたわけではない。「チョコレート」という単語に反応し、まるで合図を受けた歩兵が機関銃を構えたかのごとき、否、追尾ミサイルの照準がロックオンされたかの雰囲気で、その場に居る全員の視線が一斉にアイリスに向けられたのである。アイリスを見つめる14の瞳。まるで島本マンガの集中線を思わせるその視線はアイリスの体にザックリと突き刺さり、彼女をその場に釘付けにした。
明日は恋の天王山。天下分け目のバレンタインデー。
こんな不可解な召集さえなければ、今頃は各自自室でチョコレート作りに精を出さなくてはならないはずなのである。各々が極秘に組み立てたレシピを持ち、趣向を凝らしたラッピングと最高の演出をひねり出し、その為の予行演習ならクリスマス直後から入念に繰り返されているというのだから、全員の状況が同じとはいえ、こんなところで思わぬ遅れを取らされたのではたまらない。
『ついに明日、大神一郎は私のチョコを食べるのよ!』
無論それは全員がそう思っているのであり、皆互いの目論見を薄々とは感じとっている。だが、その上でのこの台詞なのだから、これまさに狐と狸。ブッシュとフセイン。北朝鮮。帝劇におけるバレンタインデーとは、毎年繰り返される風物詩とはいえ血が流れないのが唯一の幸いという戦争に他ならないのだった。
そして、その戦争は大神が全てのチョコレートを一人で食す事によって丸く治められるのであるが、大神がどんな気持ちでそのチョコを口に運んでいるかは前項にてお知らせした通りだ。だがそれを案ずる者の姿は此処に無い。
非常に非情。ああ無情。
「ところで・・・・・」アイリスの発言以来、銀座の名店「鬼瓦GONZO」より極秘裏に入手したトリュフチョコレートの裏レシピをフルスピードで思い出していたさくらが、口を開いた。「皆さん、今年は何をプレゼントするんですか?」
ざわ・・・・・
ざわ・・・・・
繰り返すが、別にこういう音が聞こえた訳でもジャンケンやチンチロが始まったわけでもない。断じて。
さくらの何気ない台詞に、作戦司令室の空気が一瞬にして張り詰めた。
この発言はもちろんバレンタインデーのプレゼントの事を指している。だが彼女、言葉の選び方が絶妙だ。「プレゼント」という言葉は安易にチョコレートをニュアンスさせてしまいがちだが、バレンタインデーにチョコレートを贈るのは言わずもがな、の話である。よって、この言葉は「チョコレート以外にも何か別のプレゼントを用意する腹積もりがあるのか」という風に解釈すべきではないだろうか。
すると次に問題になってくるのは『何故、毎年の恒例行事であるにもかかわらず、わざわざ「今年は」という言葉を付け加えたのか』という事だが、これは『今年は』という言葉を使う事によって、『プレゼント』という動詞でもあるこの言葉に、過去に複数回連繰り返された事実を匂わせるのが目的だったのではないだろうか。こうする事によって彼女は架空の実績を作り上げ、他のメンバーとの決定的な差別化を図ったのである。
つまり、彼女の台詞は『ハッタリ』なのだ。
さらに特筆すべきは、さくらがこの発言に対して、全員がチョコレートを意識している現在のタイミングを選んだ事だ。アイリスの発言に「チョコレート」という言葉があったおかげで、全員の意識は自分が用意している(するはずの)チョコレートに集まっていた。さくらがそれまでそうしていたように、全員がそれについて考えを巡らせていたはずだ。『大神にチョコレートを贈る』という行為については各自に共通する行動であり、またその目的についても同様であることは既に明らかだ。だから、各々はこの段階では、そのチョコレートがどんな味で、それが大神の好みに合うのかどうかといったような、自分の贈る予定でいたチョコレートについてだけを考えればよいのである。
だが、其処に突然チョコレート以外のもう一つ、いわば伏兵の存在が明らかになったとしたらどうだろう?その心中は穏やかでは無いはずだ。ことチョコレート以外のプレゼントを考えていなかった者にとって、この伏兵は一騎当千の働きを示す。完了間際の作戦に問題が一つ付加されるだけではない。その伏兵は、姿も、価値も、その存在すら不明であるにもかかわらず、存在理由とその効果だけは嫌と言うほど明確なのだから。
そしてさくらはそれらの情報をあえて公にする事によって余裕を演出し、その余裕をダイレクトに力量の差へと瞬時に変換させたのである。さくらが必要としていたのは正にそれだった。バレンタインと言う、全員にとって告白のチャンスにのみ公平が保たれる争いを制すには、他を蹴落とすのも戦法の内なのだから。
『情報の操作と錯乱。その誘発』
さくらの発言の意図はまさにここにあった。そしてそれを行うのに最も相応しいタイミングが今だったのである。事実、さくら以外の人間の心中では、さくらが持ち出した不確定な情報の連鎖が様々な不安要素を作り出しているのであった。
「自分はチョコレートのみだというのに、さくらはチョコレート以外に何を「+α」するつもりなのか?」
「彼女は過去今までのバレンタインデーにも、その「+α」を欠かすことは無かったのだろうか?
「そのプレゼントによって、一体どれ程の差がさくらと自分と大神の間に施されてしまったのか?」
「明日、その差を埋める為には、自分はチョコレート以外の何を用意し、どうすれば良いのか?」
「しかし、今から用意するものでそれは可能なのか・・・・・・・?」
一度生まれた不安は簡単には拭いきれないものだ。さらに大きくなる可能性だって大いにありえる。自身が抱える不安は全ての行動に対しての妨害になり、その妨害は最終的に事が終了するまで影響し続けるだろう。
以上の事を踏まえると、彼女の台詞はこのように変換すべきである。
「皆さん、今年は何をプレゼントするんですか?」
↓
変換
↓
「今年の私は一味違うぜ!てめえら全員覚悟しな!」
「・・・・・・」
「・・・・・・」
この言葉の前に口を開く者は誰一人として居なかった。アイリスさえもが表情を強張らせていた。つまり、この作戦は見事に機能したという訳だ。
言葉一つで全員を手玉に取り、己の優位を確保するとは。流石は真宮寺さくら、タイトルを背負う『オフィシャルヒロイン』の冠は伊達では無かったか。
それにしても、言葉一つでここまで状況が緊迫するとは・・・・・・これもまた、数ある恋の形の中の一つと見れば良いのだろうか。
数分後、未だ切りつけるような視線が交錯する中、作戦司令室に近づく人影があった。その影はそのまま音も無く室内に入ってきたので、その瞬間に気づいた者は誰一人として居なかったのだが、影が「パンパン」と促すように手を打つと、一瞬で全員の注目を集めた。
「待たせたわね」
かえでだった。かえでは素早く全員を見渡すと、誰かが口を開く暇すら与えずに、なにか嫌な含みのある、それでいてよく通る声でこう言った。
「今日は、皆さんにちょっと、殺し合いをしてもらいます」 |