夕食も済むと、新隊長である加山の生活パターンは、大神のそれと大して変わるものではなかった。
 僅かなプライベートの後、自室にて本日の日報を書き上げて、それを司令あるいは副司令に報告し、更に明日の訓練又は公演事項の計画と確認を済ませ、そして夜の見まわり、というものである。いずれはこの項目の中に、『事務所での伝票整理』というものが付け加えられる日も遠くないだろうが、とりあえずはこれが加山隊長の夜の姿だった。
 ちょうど今、加山は支配人室にて本日の日報を米田に報告している所だった。
 普段は米田が愛用している黒壇の大机しかないこの部屋だったが、加山が花組入りしてからは、少々部屋模様が変ってきていた。加山が月組との関係を繋げるための通信端末が持ち込まれたためである。その月組を直接管理する立場にあるかえでもまた、自分の備品を自室からこの部屋に持ち込んでいた。月組という組織の性格上、部内員に対しても内密にしておかなくてはならない事項が少なくない為である。
 「・・・・・以上です」
 机で晩酌を嗜んでいる米田の前で日報を読み終えると、加山は直立不動の姿勢をとり、米田の言葉を待った。その姿は凛々しく、普段から漂うおちゃらけた雰囲気とは程遠い、軍人の風格が漂うものだった。
 方や米田は相変わらずで、手には酒の杯、もう一方の手には焼鳥をという有様だ。加山の報告の最中は机の上に足を上げ、時々渡された報告用紙に目を落とすものの、その様子からは軍人どころか、上司の威厳など微塵もかんじさせないものだった。しかしこれが「仮の姿」であるという事は、この場にいる加山は勿論、華激団の全員が臨戦体勢を迎えるたびに思い知らされている。
 米田は、何より抜け目の無い男だった。過去に何度か勃発した花組の進退問題を花組の面子だけで乗り越える事が出来たのも、実は裏で米田が方々に手を回し、その手腕を振るっていたからに相違なかった。つまり米田たった一人の人徳が、日本帝国軍首脳陣を説き伏せ、力と変えたのである。そして、その結果が花組の全員に自負心と信頼の絆を与えたのだった。しかし当事者以外にそれを知っているのは、加山だけなのである。
 それを思う加山は何時なる時であっても、直接米田と対面するときは緊張を感じていた。緊張と言うよりは興奮にも似た、何やら背筋にゾクゾクと走るものを感じるのである。
 「うーし、ご苦労」
 半開きの目で報告用紙に判を付くと、米田は『よっこらせ』といった感じで席を立った。
 「司令、どちらへ?」
 米田の挙動に加山が即座に反応する。
 「そろそろ夜鳴きの『八兵衛』が来る頃だろ」米田の声は鼻歌混じりだ。千鳥足でリズムを取って、おどけた調子でドアに向かっている。「呑み足りねぇんだよ・・・・おっとっと、へへ」
 米田が舞踊のような身振りで上着を羽織っていると、今まで机に向かって書類整理をしていたかえでが口を挟んだ。
 「支配人?また行かれるんですか?」
 「『咲けなくて(酒なくて)、何故に己が、桜かな』・・・・ってか♪」
 「お楽しみは結構ですけど、領収書は受け付けませんからね」
 「へっへぇ〜んだ♪加山ァ、お前も来いよ。熱燗が待ってるからなぁ♪」
 かえでの冷ややかな言葉を鼻でせせら笑うと、米田はそのまま姿を消した。
 後に残されたかえでと加山はそれを見送った後、ゆっくりと顔を見合わせ、吹き出してしまった。
 「ふふっ・・・」
 「ははは・・・」
 そしてそのタイミングが殆ど同時だった事に気がつくと、二人はますます笑った。そして一しきり笑った後、かえでが言った。
 「ま、『人払い』が済んだところで、さて・・・・何かあるのかしら?加山くん?」
 今の米田の行動の意味を察知していたのだろう。流石はかえでだった。
 これは帝劇発足以来、そしてかえでの前任であったあやめの時もそうだったのだが、米田は作戦外における花組隊員の管理の全てをかえでに任せていた。
 普段から酒を飲み耽っているような米田だったが、実は目の届かない所では軍関係者との会議の連続の日々を過ごしているのである。それで時間がないという事もあるのだが、管理体制としては上の者が下を、下の者はその下を、というのが組織として望ましい状態であり、そして花組にとっては、それがベストの環境である事を見ぬいての判断なのである。
 事実、このスタイルは米田等管理職者にとっても、また大神や加山、更に下の隊員達にとってもスムーズに機能していた。しかしこれは、花組が軍の階級による上下関係ではなく、常に信頼関係によるコミュニケーションをとっているからであり、そしてかえでには、その環境を作り出す能力が極めて優れていたからなのである。
 
 促された加山は、先ず昼に行なったミーティングの内容とその結果を、そしてその時に見た紅蘭の反応をかえでに伝えた。
  

 一方その頃、紅蘭は─
   

 「んぅぁああああああ!!!!」
 
ボフッ!
 
「どぉあああああ!!!」
 
バホッ!!
 
「一体何やっちゅうんやぁあああああ!!!!」
 計器とケーブルに埋め尽くされた室内で、不釣合いな声を響かせていた。
 すでに夕食も済んで2時間も経とうというのだが、紅蘭は自室に篭ったきり、ずっとこの調子だった。
 床一面にジャンクパーツを撒き散らし、布団にまたがってパンチの連打、果ては雄叫び・・・とまぁ、普段から想像も出来ない程のかんしゃくを起こしていた。まさにイライラのオン・パレード状態なのである。
 原因は勿論、加山だ。
 実は夕食の後、加山に一冊のファイルを手渡されたのである。
 それは事細かに纏め上げられた、光武における改良・改善ポイントを指摘したものだった。そしてその中に書かれている内容は、先に話に上がっていた個所のみならず、電装系、動力系、霊力系・・・・光武における、殆ど全ての構成個所に指摘があると加山は説明した。
 それが紅蘭には、実におもしろくなかった訳である。一瞥しただけで紅蘭は言葉を吐いていた。
 「さっきも言うたやろ、アンタは黙っとけや!」
 「しかし、検討の余地はあると思うが・・・」
 「光武の事やったら、花やしきに頼んだらよろしいやろ!?」
 「紅蘭、これは非難ではない。アドバイスだ」
 「何が『アドバイス』や!気取りやがってムカツクわ!」
 今だ食事中であった他の隊員の目も気にせず、紅蘭はその場で再び不満を爆発させてしまったのだ。一度受け取ったファイルを床に叩きつけ、明らかに日本語ではない罵声を加山に浴びせると、足音を踏み鳴らして姿を消したのだった。その勢いは凄まじく、何せあのカンナが箸を止めてしまったほどである(これは全員の記憶の中では初めての出来事であり、考え様によってはこれも一大事である)。
 が・・・・。
 
 今現在、そのファイルは紅蘭の作業机の上に「どっしり」と乗っかっていた。
 何故なら、今の紅蘭には、怒りの感情と共に湧きあがってくる、もう一つの強い感情があったからだ。そして、その感情がある時点で怒りを超え、ついに表面に現れ出たのである。
 それは「好奇心」だ。
 帝国華撃団の隊員である前に、そして大神の、加山の部下である前に、彼女は一人の科学者だった。第三者の手によって綿密に解析されたデータというものは、それだけで科学者の知性をくすぐるに十分な代物なのだが、ましてそのデータが光武に関するものであったとするならば、普段の紅蘭であれば一も二も無く飛びついたであろう。しかし一方的に怒鳴り散らした手前、またおめおめと加山の前に出て、ファイルを見せてもらうようにと頭を下げるわけにもいかず、実の所、彼女は自室でいかんともしがたい時を過ごしていたのである。
 しかし食堂を後にして暫く経った頃、マリアが紅蘭の部屋の前にファイルをそっと置いて立ち去った気配を、紅蘭は察知していた。そして廊下に人の気配がないのを十分に確認してから素早くそれを部屋の中に持ち込むと、今度は神妙な面持ちでそれを開き始めたのだった。
 「雄叫び」が始まったのは、それから10分後の事である。
 紅蘭も始めの内は、その解析内容を実に興味深く見ていたのだが、時間が経つに連れその表情は徐々に不機嫌なものへと変化していき、その色が濃くなったかと思うと、突如机に拳を浴びせ、椅子を蹴っ飛ばし、ファイル相手に大立ち回りを演じ始めたのだった。
 何故ならその解析内容は、紅蘭が普段まとめているものよりも綿密であり、正確であり、的確であったからだ。紅蘭が普段は気にしていないような、機体固有の癖として片付けている個所にさえ1ページにも及ぶ指摘が挙げられており、しかもその内容は、たとえ紅蘭が半年かかっても纏め上げられないほどの完成度を誇っていたからだ。そして、まるで有り得ない話ではあるが、このファイルは加山がこの部署に配属されてからまとめられた物であるとするならば、加山のその作業スピード、とくに解析能力は紅蘭のそれを遥かに凌駕していることになる。
 実の所はざっと目を通すのみで、鼻でせせら笑う算段でいた紅蘭が、このファイルを眺めて面白いわけが無いのは察して余りあるところだろう。
 「あんな男の書いた物など、信用に価せず」と思っていたのだが、今や紅蘭自身の揺るぎ無い知識がそれを否定していた。
 認めるしかない…だが悔しい。
 読めばムカつく…だが読みたい。
 本性とプライドの狭間で揺れる羽目となった紅蘭は、ニページ読んでは枕を投げ、またニページ読んでは雄叫びを上げ・・・・終いには「もくもくくん」を室内はおろか廊下にまで投げ込む大騒ぎになった。

 そして、その騒ぎの所為で紅蘭はマリアに始末書を書かされる事になり─
 一時的に中断された紅蘭の「雄叫び」は、それから朝方にまで及んだ。

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