マリアの手当てを受たものの、事実上の試験データは既にそろっていたことと、いいかげん地下の空気にうんざりしていたこともあって、大神はそれ以上の試射を繰り返すことはしなかった。二人はそろって射撃場を後にするとキッチンへ立ち寄った。そこでマリアは、特性のマーマレードを入れたロシアンティーを二人分作り、さらにチーズ入りのクッキーを添えてトレイにのせた。これは、大神が深夜まで資料の製作や整理に終われている時、いつもマリアが隊長室に差し入れてくれる物と同じだった。普段はあまり甘いものを口にすることのない大神だったが、その時ばかりは疲れの所為もあり、むしろ心地よい気持ちでそれらを口に運んだものだった。それ以来大神はこっそりマリアに頼んでは、昼間でもその味を楽しむことが多くなり、その味がついに隊員たちの知るところのものとなった今では、日々のティータイムには欠かせないものになっていた。

 「ところで」大神が丁度トレイを手に持ったマリアに話しかけた。「君はよかったのかい?」
 「なんのことです?」
 「ほら、もしかしたら君も射撃をしたかったんじゃないかと思ってね」
 するとマリアはクスクスと笑って、大神の右手にに視線を向けた。
 「私はその右手を信じていますから」
 そう言って、マリアは再びクスクスと笑った。普段は殆ど見せることの無いその笑顔が、彼女を少しだけ少女の様に見せることを大神は知っている。
 「それに私にはエンフィールドがありますから」
 キッチンから外へと歩き出したマリアを追って大神も歩き出した。しばらくの間、背中越しの会話が続いた。
 「隊長はもちろん新しい銃に代えられるんでしょうね」
 「うん、そうだろうね。俺の拳銃は支給されているものだし、その型式が変れば、自動的にそういうことになるだろうね」
 「そうですか・・・私はやはり手になじんだ物じゃないと」
 「そうだろうね。たしか、改造してあるんだったね、マリアの銃は?」
 「はい、本来エンフィールドは中折れ式の6連発リボルバーですが、私の物はスイングアウトが可能になっています。口径も銃身も違いますね」
 「すごいな・・・・それなら改造というよりもカスタムメイドに近いんじゃないのか?」
 「ええ。ですからパーツの調達が大変で・・・紅蘭がいてくれて助かっています。そうじゃなかったら・・・」
 「紅蘭に?じゃあ、君は─」
 「ええ」二階に上がり、サロンの前まで来たところでマリアは大神の声に振り向いた。「あの銃を改造したのは私ではありませんから」
 マリアがトレイをテーブルに置いたので、大神も椅子を引いて向い合うように腰を下ろした。その時、マリアの顔にふっと影が差したことに、大神は気づくことが出来なかった。
 「君でなければ誰が?君はあの銃をここにくる前から持っていたんだろう?」
 マリアはその質問に口を開かず、ティーカップを口へ運ぶとそれを味わうように口に含んだ。大神もそれに習うと、紅茶の渋みと中に入ったマーマレードの味が口の中でまろやかに溶け合っていくのが分かった。
 「以前君の銃を見せてもらった時、その仕上がりの良さに驚いたことがあってね、俺は前から気になっていたんだよ。そうだ、もし今持っているなら、もう一度見せてくれないかな。君が気にしなければの話だけど」
 「隊長」
 しばらくの間ティーカップを見つめていたままのマリアが大神の言葉をさえぎった。大神はようやくにしてマリアの表情に気が付き、カップを口に運ぶ手を止めた。
 「マリア・・・聞いてはいけない事だったのかい?」
 マリアは無言のまま首を横に振った。途中まで上げたティーカップから立ち上る湯気が、うつむいた彼女の表情を揺らした。
 「ならマリア、どうして俺の質問に答えてくれないんだい?二人きりで居る時にそんな顔をされたら、いくら俺でも気にしてしまうよ、マリア」
 大神はそう言って、わざと聞こえるように笑って見せた。窓からの景色に目をやると、葉をつけ始めた木々が強い風に煽られて揺れていた。その奥には通りの向こう側に立てられた次期公演の立て看板が見える。帝都には春が近づいていた。
 「隊長」
 マリアの声に視線を戻すと、マリアはそこには居なかった。何時の間にか彼女は大神の隣の位置に座っていた。
 「どうしたんだい?話してくれるのかい?」
 大神はそう言ってマリアの顔を覗き込んだ。そこには何かに揺らいだ、不安と緊張に満ちたマリアの瞳があった。マリアはテーブルの下の大神の手をそっと握ると、呟くような口調で言った。
 「お願いがあるんです」
 大神はマリアの表情に只ならぬ物を感じ取り、カップをトレイの上に戻すと黙って頷いた。
 「私の部屋に来てくださいませんか」

 それからふたりはテーブルをそのままにして立ちあがると、マリアの部屋に向かった。マリアに促されて部屋に入ると、そこにはカラフルに彩られた織姫やすみれの部屋とは全く正反対の、鏡さえも無い殺風景な空間が作られていた。あるのは幾つかの家具と机、小さな本棚が一つ。マリアは机の引出しから古い写真を取り出すと大神に手渡した。写真に移っていたのは正装した日本人と背の高いブロンドの女性、そしてその腕に抱かれた2、3歳くらいの少女。
 「私の家族です」
 マリアは大神に椅子をすすめ、自分はベッドに腰を下すと、顔を伏せたままそう言った。大神はもう一度写真に目を落とした。写し出された3人の表情は色あせていたが、誰の目にも幸せに見えるものだった。
 「マリア、これは君の写真なんだね」
 大神があまりにも当たり前の事を言った。しかしマリアはそれに気を払う様子も見せなかった。
 「・・・・もう、誰かに話しておくべきなのかも知れませんね」
 マリアはそのままの視線でそう言うと、ゆっくり、ゆっくりと話し始めた。色の霞んだ思い出を辿るように、そしてそれが壊れてしまわぬように。
 「私は・・・ここに居ることさえ許されざる罪人なんです」

 それは彼女の懺悔だった。


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