| 時計は深夜をも回り、しかし夜明けにはまだ間のある時間。 普通の街ならそんな時間に営業しているレストランなどあるはずも無いが、ここは「不夜城」の冠を頂く街、NYである。通りの両側には営業中のレストランやパブに埋め尽くされ、輝くネオンはまるでこの街自体が光を発しているのではないかと見紛うばかりの艶やかさだ。 程なくして、二人はあるレストラン・バーの前にたどり着いた。ユーリーがあらかじめ話を付けていたのか、入り口に立っていたドアマンはユーリーの顔を確認するなり会釈した。 「上着をお預かりします」 傅いたウェイトレスに促されて、マリアはコートを脱いだ。ステージ衣装でもあるチャイナドレスが再び姿を見せると、細やかに縫いこまれたラメが室内灯に照らされて、マリアをより一層美しく彩った。 「綺麗だよ」 歯に絹をも着せない無いユーリーの言葉に、マリアは「ばか」と呟いてはにかんだ。 普段から言葉の少ないマリアと違って、ユーリーには元々、なんと言うか、「どんな言葉でもストレートに言い表せる」能力があった。男性であれ女性であれ、仮に初対面で多少距離のある相手であったとしても、この言葉の妙技でその距離を飛び越えてしまうのである。この片鱗はロシア時代から見え隠れしていたものだったが、二人がNYに渡ってからは更に開花したようだった。ある意味では、アメリカ的であるという表現も出来るかもしれない。事実、ユーリーがNYという街に適応するのには、マリアほどの努力や配慮も必要なかったようだった。 マリアにはとうてい信じられない行動だったが、それが同時にユーリーの魅力の一つであることを彼女は既に知っていた。 「もしかして」上着をハンガーに掛けて振り返ったウェイトレスが、マリアのチャイナドレスの胸に輝く竜の刺繍を見つけてマリアに声を掛けた。「もしかして、『グレートウォール』の方ですか?」 マリアがショー・ダンサーとして身を寄せている「グレート・ウォール」は、NYでも屈指の規模と格式を誇るショー・レストランだった。華僑の富豪が経営するこのレストランは、レストランとしての評価は勿論のこと、特にエンターテイメント性に優れたショータイムに誉が高かった。グレートウォールのステージに立つことが、NYの全ての踊り子達にとってのステータスであり、夢であると言っても過言ではないだろう。それ故グレートウォールの舞台に立つ踊り子達は、ステージ衣装でもあるチャイナドレスをコスチュームとし、それを普段から着用することによってその存在を周囲に自負するのであった。マリアがこのコスチュームに身を包むようになってからまだ三ヶ月も経たないのだが、整ったプロポーションと、細い体を限界まで生かしきるダイナミックなダンスのセンスにより、周囲から注がれる尊敬の眼差しは既にトップスターに等しいものがあった。 ウェイトレスの声にマリアが頷くと、おそらくマリアと同い年位であろうそのウェイトレスは感嘆の声を上げた。そしてうやうやしく右手を差し出すとマリアとの握手を求め、今度の休日には必ずショウタイムを見に行くからと、終始興奮した様子で言葉を告げると、ようやくマリアを解放して仕事に戻った。 「また人気者だね?」 こういった状況にはどうしても馴染めないマリアの心境を察しているのか、ユーリーが再びマリアをからかう。 「もう・・・・」マリアは耳まで真っ赤になりながら、照れを隠した。マリアの性格から考えると無理も無い反応である。「だからイヤなのよ・・・はやくロッカーが欲しいわ」 それ以上ユーリーには耳を貸さず、マリアはウェイターにエスコートされて店の中へと歩いていった。 ユーリーが選んだのは、NYでも有名なレストランであった。故に店内のテーブルは、深夜という時間帯にも関わらずほぼ満席に近い状態だったが、やはりユーリーが先に気を利かせておいたのだろう、二人は「予約席」という札が立てられたテーブルに案内された。 バーテンダーの後を付いて行く間にも、マリアに対する周囲の視線は熱を増すばかりであったが、それでもテーブルにたどり着くと、マリアも少しは落ち着きを取り戻すことが出来た。 「落ち着いた?」 一方のユーリーはケロっとしている。まるでこの状況を自ら作り出し、しかも楽しんでいる様子さえ見て取れる。マリアは革張りのメニューブックを開いて顔をすっぽりと包み込むと、メニューを睨みながらボソボソと呟いた。 「だから仕事の後の食事はイヤなのよ」 「そうかな?僕は好きだよ?」 ユーリーの言葉にマリアはメニューで顔を隠しながら、目だけをユーリーに向けた。 「何よ、そんな事言ってからかってるんでしょう?」 「その通り」 「私の性格知ってるくせに」 「その通り」 「いつもそうなのね。あなたって」 「その通り」 ユーリーはやおら指を鳴らすと、バーテンを呼びつけてオーダーをとらせた。 「同じものでいいよね?」 会話を半ば無視するようにして、ユーリーがマリアに同意を求める。マリアは黙ったまま頷いた。あきらめたのは、メニューなのか、それともユーリーの態度なのか。 オーダーを受けたウェイターが下がると、入れ替わりに食前酒が運ばれてきた。酒を持ってきたのは普通のウェイターとは異なる、タキシードで身を包んだ白髪の男だった。給仕の手付きや物腰から察するに、おそらくこの店のソムリエだろう。 「ご夫婦でいらっしゃいますか?」 老いたソムリエが二人に声をかけた。ソムリエというものは、滅多に客と口を利かぬものだ。せいぜいがワインの説明や料理との相性を教授する程度。せがまれればワインのウンチクくらいは少々飛び出すだろうか。そんなソムリエが二人に気安く声を掛けてきたのも、ユーリーの人柄と雰囲気がとても柔らかいものを持っているからに違いない。 「そう見えますか?」 満たされてゆくワイングラスを眺めながら、ユーリーがソムリエに答えた。 「ええ、そう見えますとも」ソムリエは優しく目を細めた。「それに、仲がよくていらっしゃる」 「やだ、そんな・・・・・夫婦じゃないんですよ、私達」 一方のマリアは両手を振り、慌てて否定して見せた。しかし、顔を耳まで真っ赤にさせているので説得力の欠片もない。案の定、ソムリエはマリアの素振りは全く気にしない様子で、優しい、そして彼自身とても嬉しそうな笑みを見せた。 「はは・・・・では、いずれは夫婦という事なのでございましょう。私にはそう見えます」 ソムリエの言葉に気を良くしたのか、ユーリーが笑顔で答える。 「やっぱり判ります?」 「ユ、ユーリー!」 余計なな事を言わないで頂戴。 マリアはそう言いたかったのだが、言えなかった。恥ずかしさのあまりに体が火照って、もう声が喉から出てこないのだ。 「そうですか、婚約者様でいらっしゃいましたか。それはそれは・・・・おめでとうございます。ささやかながら、私からも祝福させて頂きますよ」 「ありがとう」 ユーリーはしれっとそう言うと、白い歯を見せて笑った。 酒をグラスに注ぎ終え、深々と頭を下げて席を外したソムリエを、ユーリーは手を振って見送った。 「良さそうな人だね、あの人」 マリアの方に向き直ったユーリーが、何事も無かったかの様な口調でマリアに話しかける。しかしマリアはその問いにも満足に答える事は出来なかった。ソムリエの勘違いとユーリーの悪乗りとはいえ、「婚約者」と思われてしまったことが余程恥ずかしかったらしい。彼女の両頬は未だ朱を散らしたようで、視線もおどおどとして定まっていない。 「マリア?」 ユーリーにもう一度名前を呼ばれて、マリアはようやく落ち着きを取り戻した。食前酒で満たされたグラスを掴んで一口含んで飲み下すと、ふっと大きく息を付き、俯いたままでユーリーに視線だけを向ける。 「まったく・・・あなたって人は」 おそらくまだまだ言いたい事はあるのだろうが、マリアの口からはそれ以上の言葉が出てくることは無かった。激しく上下する胸元を手で押さえて、キッとユーリーを睨んでいる。それが精一杯だった。 「マリア?」 しかしユーリーは相変わらずだ。食前酒のグラスを目線に掲げ、グラス越しにマリアを見つめ返している。 「乾杯、しよう?」 「・・・・・」 マリアは黙ったままグラスを持ち替え、掲げた。コツン、というクリスタルグラス独特の音と余韻を残し、乾杯は交わされた。 「乾杯」 ユーリーが言う。 「・・・・乾杯」 やや遅れてマリアが答えた。そして再び口に含むと、今度はその味を逃さぬよう、ゆっくりと舌で転がして味わった。シェリーだった。 「気に入ってくれたかい?」先にグラスを置いたユーリーが言う。「僕のお気に入りの品だよ。君も好みだといいのだけれど」 「・・・・ええ」 そのとき、マリアは思った。 どうしてこの人は、ミュージカル俳優顔負けの絶妙なテンポで会話する事が出来るのだろう? 綺麗だとか、好きだとか、そんな明け透けな言葉をどうしてスラスラと口に出来るのだろう? どうして私が恥かしがって、困ってしまうような事ばかり言うのだろう? 考えれば考えるほど、マリアの胸は何故か高鳴った。 グラスを傾けながら盗み見れば、ユーリーはまだ笑っていた。 そのグレイの瞳の中には、マリアの姿がはっきりと写っていたのだが、今のマリアにはそれに気が着く余裕も無かった。 マリアも所詮、人の子である。 想いを寄せる男性に図星を刺されてしまっては、抗う術も無く、そしてそれを幸せと呼ぶには、マリアはまだまだ真面目すぎたのだった。 |