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モスクワ中央に位置する、ロシア帝国政府本拠地。 「ユーリー!」 そう叫んだつもりだが、猿轡が邪魔をして、滑稽な唸り声ばかりが法廷に響きわたる。だがユーリーは、聞こえたであろうその叫びにも振り返ろうとはせず、そのまま法廷から姿を消した。 そして誰も居なくなった法廷には、投げ捨てられたロザリオと、マリアの絶望だけが取り残された。 だが、翌日の正午を迎えても、二人の命は途絶える事が無かった。 高い防壁にかこまれた広場、その中央に位置する断頭台の前にマリアが立たされた時、突如としてそれは起こった。 マリアの後方、防壁のすぐ裏側で爆発音が轟き、猛烈な黒煙が立ち上った。爆発音が瞬く間に広場を取り囲むと、その場に居た衛兵達は次第に混乱し、徐々に統率を失ってゆく。 この混乱は何者による、何の為のものなのか。それはマリアにも全く把握できなかった。 「動くな」 振り返って周囲を見回そうとしたマリアを制したのは、鉄仮面に顔を隠し、戦斧を手にした死刑執行人だった。がっしりした鎧に包まれた手がマリアの肩にかかる。マリアは振り切ろうとうとしたが、首枷から伸びる鎖が執行人の手に握られているためにそれは出来ない。そしてさらに意外な事に、隣に立っていたユーリーが執行人の言葉に同調したのである。 「そうだマリア、動かない方が良い」 ユーリーの表情は冷静さを保っていた。その言葉は、諦めや開き直りではない、何か強い確信に支えられているのがその時のマリアにも判った。だからマリアは信じるしかなかった。凄まじい混乱の中、執行人とユーリーとマリア、その三人だけが沈黙を守り続けた。 「これで終わるぞ」 「いや、もう終わってるさ」 執行人の声に、ユーリーが答える。 そして崩れた防壁の隙間から、凄まじいほどの弾幕が衛兵の群れに降り注いだ時、機関銃を手にしたレジスタンス兵達とと共に広場になだれ込んできたのは・・・・長く帝政の犠牲となり、そしてこの時立ち上がった、ロシア市民だった。 勝ったのだ。 我々は勝ったのだ。 囚われたマリアとユーリーを目指してレジスタンスが銃を構え、はびこる衛兵をなぎ倒しながら市民達が駆けつける。革命の結末に確信を感じるまで、マリアは目の前で繰り広げられている光景を、ただただ呆然と眺めていた。 そんなマリアに声を掛けたのは、執行人だった。 「行くぞ」 「えっ?」 「もう判っただろう?既に勝利は市民の手に渡った。だがここにいる市民達をこれ以上危険にさらす事は出来ない」 「そうだマリア」執行人の言葉に、再びユーリーが同調する。「彼等はこの革命を終わらせようとしている。その思いを無駄には出来ないし、彼等から一人でも犠牲者が出てしまっては、もう何の意味もなくなってしまう」 「ちょ、ちょっと待ってくれない?」 マリアはしげしげと、共に闘おうとしている二人の姿を見比べた。 牢から出された時から先程までマリアの鎖を握っていた人間が、なぜ我々と共に闘おうとしているのか? そして何より、何故この執行人はこの混乱をあたかも予知していたかの様に振る舞い、ユーリーもまた同様の態度をとっているのか? だが執行人が鉄仮面を脱いだ時、マリアが抱いた大きな疑問は瞬く間に解決した。 「あ、あなたは・・・・!」 鉄仮面の下に現れた顔は忘れもしない、なんと昨日にマリアとユーリーの裁判を取り仕切った、裁判官の一人だった。 「驚いたかい?」 ユーリーはその男の肩を親しげに抱きながら、真実を明かし始めた。 「名前はドーマンセイマン・ゴドーノフ。部隊の記録では数年前に死んだ事になっているが、実はその時、帝国に工作員としてもぐりこませていたんだ」 「そうゆう事さ。マリア」 差し出された手を、マリアは握り返した。鎧越しの握手ではあったが、謎の解けた今、その掌は温かく感じられた。 その時、ふとマリアは手の中に違和感を覚え、自分の手を見つめて驚いた。自分の掌には、昨日の法廷で投げ捨てたあのロザリオが握られていたのである。 「君の忘れ物だろう?」 ドーマンセイマンが微笑んだ。そしてその時、彼の声がとても優しい響きを持っていることにマリアは気づいた。 「マリア・・・・神は俺達を翻弄し続けた。俺達はその代償を支払ってきた。神は時に無慈悲で、時に残酷だ。だけどマリア、運命は神の采配で下されるものだけではないんだ。君が自分で運命を切り開こうとした時、君こそが神となるんだ」 マリアはドーマンセイマンを見た。ユーリーよりも年はかなり離れているが、ユーリーと同じグレイの瞳を持つ男だった。瞳に宿る情熱も信念も、同じなのだろうと感じた。 「裁判官になって現れた時は、さすがに目を疑ったがね」 「それなりの苦労はしたって事さ。貴様のお蔭でな」 ユーリーとドーマンセイマンは、まるで友情を確かめ合うかのように見つめ合い、笑った。マリアもまた、その輪に加わった。そして三人で握手を交わした後、再びユーリーが声を上げる。 「さあ、本当に終わらせよう!これが最後の闘いだ!」 「武器は!?」 「心配するな、もう用意してあるさ!」 ドーマンセイマンが二人に機関銃を手渡し、自分は戦斧を構える。 そして三人は呼吸を合わせるかのように頷きあうとj、混乱極まる広場の中央へと躍り出たのだった。 そしてその日の日暮れを待たずして闘いは終わり、ロシアの歴史は書き換えられた。 ユーリーとマリアの逮捕劇は、実は秘密裏に計画されていた囮作戦であったという事をマリアが知るのは、さらにその数日後の事だった。 革命後。 レジスタンスの肩書きを下ろした二人の前に、新設された市民政府の人間が現れた。 レジスタンス軍、その中の英雄として闘ってきたユーリーに、新政府づくりに参加してもらいたいのだという。 「望みが適うのであれば」 ユーリーはそう言い、ロシア外交官となった。マリアは、ユーリーがかつて外交官であったマリアの父の遺志を継ぎ、その道を選んだのだと信じた。 その後のユーリーは、慣れぬ仕事ながらも忙しく働き、マリアも身を粉にして彼をサポートした。そうやって数ヶ月を過ごすうち、ユーリーは駐在員としての渡米が決定し、マリアもその後を追った。 今から5年前の話である。 |