朝と同じように、しかし逆方向の路線バスに並ぶ勤め人たち。
 ラッパを鳴らして路地を行く豆腐屋の自転車。
 通りに台車を寄せ、店を構え始めるおでんの屋台。その隣には易者がいる。
 それとは逆に、子供達に見送られながら来た道を戻る紙芝居の老人。
  
 帝都が昼の姿から夜の姿へと、まるで化粧を直すかの如くその様を変える瞬間である。飴色の光に包まれた夕暮れの帝都は、その雑踏に彩られ昼間とも夜とも異なる空間を作り出していた。
  
 「き〜みはぼく〜ぅのー、た〜いせつなーフフフフ〜ン・・・フントー、ちゃんと付いといでよ〜。」
 大神とフントを連れ出してご機嫌なのだろうか。椿は流行歌をを口ずさみ、時折見上げるようにして隣に並んで歩く大神の顔を覗き込んだ。大神が視線を落とすと、椿のさらさらとしたショートヘアーが風に揺れ、石鹸の匂いを運んでくるのが感じられた。くりくりっとした大きな瞳が特徴的なその顔立ちには、その鼻先にわずかに散ったそばかすが幼さを強調していたが、それは椿の天真爛漫な性格と重なって彼女のチャームポイントの一つとなっていた。二人の足元では、フントがチョコチョコとついてきている。帝劇に来てからしばらく経つというのに、フントの体格は一回り大きくなったくらいでピタッと止まってしまっていた。『雑種だし、そんなこともあるんじゃないかな』と、大神はフントの成長の心配をするアイリスに言って聞かせたことがある。しかしそれでもフントがフントであることに変わりは無く、その活発さについてといったら、これ以上の体格があったら手がつけられないほどのやんちゃ坊主になっていた。
 「椿ちゃんはさぁ」
 何時の間にか二人の前を歩いていたフントを眺めながら、大神がやけに間延びした調子で口を開いた。
 「椿ちゃんはさぁ」
 「はい?」
 「椿ちゃんはさぁ・・・元気だよねぇ」
 「?・・・そぅですよぉ?」ふざけているのか、答える椿の口調も大神の様になっていた。「元気ですよぉ、私は」
 「・・・・。」
 「・・・・?もぉしもぉお〜し?」
 「・・・。」
 「・・・・もぉしもぉお〜し?私はぁ、げ〜んきですよぉ〜。大神さんがぁ、喋る番ですよぉ〜」
 「・・・そりゃよかったねぇ・・・・」 
 長いタメの後、消え入るように呟いた大神は、また一つ大きなため息をついた。完全にタイミングを外されてズッコケかけた椿は、『ああこの男一体全体どうしたっていうのさ』とでも言いたげに頭をぐしゃぐしゃとかき乱すと、大神のわき腹をポコンと肘で突いた。
 「ったく・・・大神さんが元気無さ過ぎなんです!どうしたんですか一体。ため息ばっかりついてる様な弱虫はですねぇ、庭の向日葵に笑われるんですよ。ホンとにもう」
 「椿ちゃん」それを聞いた大神が真っ直ぐ椿の顔を見つめ返して言った。「かもしれないけどさぁ」
 「ねっ?大神さんもそう思うでしょ?」
 「いま冬」
 「・・・あのねぇ、私は─」
 「あと・・・キネマトロンのドラマ放送の聞き過ぎ」
 「って大神さんも知ってるんじゃないですか!」
 「ん、ん〜・・・ぅん」
 「もう〜、なんなんですかー;;」
 椿はさっきよりも少しだけ思いっきり、大神のわき腹を肘で突いた。そして大神の手を握ると、上下左右にぶんぶんと振りまわした。言葉に置き換えてみるならば「あたしがカンナさんだったらもうただじゃ済まさないんだけどなぁ!」とでもいったところか。身長差の為にかなり低い位置から引っ張られた大神は前にズッコケかけて少々慌てたが、それでも大神の「やさぐれメーター」はレッドゾーンに張り付いたまま動く気配が無かった。大神がまたため息をついたが、今度は椿のそれにかき消さた。二人が静かになったので、フントは「わん」と鳴いてはみたが、無視されてしまった。フントはちょっと悔しかったので、ちょっとだけすねた。
 
 
 それから暫くは、二人と一匹はただ黙々と歩きつづけた。

 
 「あ、鯛焼きやさんがいる」
 先に沈黙を破ったのは椿だった。
 荷車に屋根をつけて改造してある鯛焼き屋は、夕暮れの押し迫った路地裏で商いをしていた。しかしこんな時間まで商いを続けているということは、売れ残りがさばけなくて立ち往生しているのかもしれない。近づいてみれば案の定、「只今半額」と書かれた暖簾がひらひらと夕暮れの風にはためいていた。
 「ほんとだ。今時分めずらしいね。」
 大神が外に出て初めて、会話らしい会話をした。椿はもそもそと懐中を探りながら、大神に言った。
 「大神さん、今幾ら持ってます?」
 「あ─・・・財布は無いけど三円くらいはポケットにあるはずだよ」
 「あたしは・・・・一円・・・と七十銭」
 「二人で四円七十銭」
 「鯛焼きは一個五十銭の半額ですねぇ・・・定価五十銭?高い鯛焼きだなぁ」
 「でも・・・二十個くらい買えそうだな」
 「二十個!?」
 「いや、そんなには要らないけど・・・でも」
 「・・・「残り全部買う」って言ったら、もっとまけててくれますかねぇ」
 「かもね」
 「ですね」
 「わん」
 鯛焼き予算案についての三者会議は、満場一致で原案通り「全力買い」が可決された。
 
 「すいませーん、くださーい」
 「はーい、今半額なんですぅ・・・って、あら?」
 大神が鯛焼き屋の前に立ってみると、その売り子は椿と大して変わらぬくらいの、銀縁の眼鏡をかけた女の子だった。白い三角巾から覗いた黒髪が夕焼けに照らされて、きらきらと眩しかった。
 「たくさん欲しいんですけどー」
 売り子の前に立つ大神の背中からからひょっこりと顔を出して、椿が口添えする。それに促されるようにして大神が続けた。
 「何個残ってるんですか?」
 「は?はい!えっとぉ・・・」少女は大神の顔を、何かもの言いたげに暫く見つめていたのだが、大神がポケットから紙幣を出したのを見て初めて「客」に気が付いたようにして、既に焼きあがっている鯛焼きの群れを数え始めた。
 「何匹いますかー?」
 「あ・・・8匹、あ、あるんですが・・・」
 「じゃあ、、それ全部ください」
 「あ、ありがとうございますぅ・・・あ、あのぅ」
 少女は一度ぺこりと下げ、そのままの姿勢で大神と椿を見上げた。
 「どうしたの?全部もらって行くよ?」
 「じ、実は・・・鯛焼きの餡と生地が・・まっままだ・・・残ってまして・・・それを焼けば・・・も、もっとぉ・・・?」
 それを聞いた椿が大神の袖をぐいぐい引っ張った。
 「買いましょうよ大神さん!焼き立てが食べられるんですよ!!」
 「え?・・・う〜ん、そうだなぁ」
 「あ、あの!お姉さん!それ焼いたら何個になりますか!?」
 「え?」興奮する椿に少々戸惑ったのか、売り子の少女は顎に片手を添えながらコンロの火を上げると、おずおずと口を開いた。「えっとぉ・・・9・・じゃなくて、12匹分かなぁ」
 「20匹!!」椿がポンと拍手を打った。「ねえねえ!それ四円七十銭でどうです?」
 「つ、つばきちゃん;;」
 何時の間にか大神を押しのけて交渉を始めている椿を、大神は困り顔でたしなめた。
 「残ってる生地も全部焼いて、20匹で四円七十銭!私達はそれ持って帰って、お姉さんも空荷でお店に帰る!いやーん♪一石二鳥ってこのことだわ〜!!」
 「や、やめなよ椿ちゃん・・・お嬢さん困ってるじゃないか」
 「おじょうさ〜ん、あたしがお嬢さんだったら買ってもらうねぇ。こう暗くなっちゃお客なんてもう来ないし、今が売り時だよ〜」
 「そ、そうかなぁ・・・でもぉ・・・え、ええ〜っ?でも・・・や、やっぱだ、だめだよぅ・・・」
 売り子の少女は椿に圧倒された様に、油を塗る刷毛を持ったまま肩をすくめてもじもじと後ずさった。
 「椿ちゃん、やめなよ・・・」
 大神が頭を下げながら、もう一度椿をたしなめたが、椿はもはや聞く耳を持っていなかった。 
 「しーっ!今いいとこなんだから!大神さん黙ってて!!・・さぁさぁ、どうするどうする?」
 「だ、だってぇ・・・」売り子の少女は今にも泣き出しそうな表情で答えた。「ほ、本当は半額もダメなんだもん・・・」
 「え、そうなの?」
 それまで威勢の良かった椿が「キョトン」とした表情で少女を見つめなおした。
 「残りの半額は・・・あ、あたしがじ、自腹・・・切ってるんだもん・・・」
 「じ・・じゃあなんで半額に?」
 大神がそう尋ねると、少女は殆どささやく程度の声で、申し訳なさそうに答えた。
 「あ、あたしぃ・・・商売・・・へ、へたっぴだから・・・ご、ごめんなさい・・・」
 少女はそう言った後、三角巾を髪から外すと、それを目尻に添えた。ついに、というか、既に、というか。少女は泣き出していた。それを見た椿があわてて少女に何かを言おうとしたが、それよりも先に少女の鬱憤が爆発してしまった。
 「だ・・・だって、残して帰ると旦那さんにしかられちゃうし・・・でもこんなことしてたら、す、すぐお金無くなっちゃってぇ・・・それにぃ、お、お客さんもなかなか掴まんなくて・・・・始めはお・・・お、おいしくないのかなって思ったんだけど・・・・あぁん、こんなんじゃぁ今月のお給金減らされちゃうよぅ;;;」
 ずり落ちそうな眼鏡を指で支えながら、少女は二人の目の前であることにも構わずにぐじゅぐじゅと泣きじゃくり始めた。もはや大神も椿もこの状態をどうクリアしてよいのやら、皆目見当も付かずに弱り果てていたが、しばらく見守った後、タイミングを見計らって大神がこう提案した。
 「お、お嬢さん・・・じゃ、じゃあ定価で買ってあげるよ。でもね、今お金持ってないんだ。だから、もし、君さえ良ければ僕らの所までついてきてもらって、そこで焼いてもらえないかな。そうすればお金、払えるんだけど・・・・だから・・・頼むから泣き止んでよ〜;;」
 大神の声が少女に届いたのか、少女は三角巾を目から話すと、すっかり晴れ上がってしまった瞳を大神に向けた。大神は少女を不安にさせないように、冷や汗を掻きながらもにっこりと微笑を浮かべていた。
 「ねっ?そうしなよ。もうこんな時間だし」
 「うん、そうだよ。さっきはあんなこと言ったりしてごめんね」
 椿もついに同情したのか、大神の言葉にに合わせて頭を下げた。少女は物も言わずに大神の顔を見つめていたが、二度3度瞬きをした後、
 「お、大神さんはっ・・・い、いっつも・・・お、お優しいん・・・ですねぇ・・・あの時も・・・そうでした・・・」
 と言って、大神の瞳を見つめた。
 その言葉に気が付いて、大神は改めてまじまじと少女の顔を見た。
 「え?俺のことを・・・?君は・・・・どこかで・・・・?」
 少女の顔は涙にぬれていたが、それでも整った顔立ちをしていた。恐らく売り子の衣装なのだろう。少女は袴姿にフリルのついたエプロンをあしらい、、やや子供っぽい仕草と視線で大神の前に立っている。黒髪に映える、舶来のセルロイド人形のような白い肌には、涙に染まった長い睫毛が印象的だった。その睫毛が眼鏡の奥で上下する度に、冬から秋に、秋から夏にと、大神の記憶が猛烈な勢いで逆回転をはじめた。そして暫く唸った後、ポンと拳で手を叩いた。
 「・・・・あぁ!あの時の!」
 「はい!そうです!去年の夏まつりの!!」
 「わたあめ屋さん!」
 「そうです〜♪鈴蘭ですよ〜!」
 「お鈴ちゃん!?うわーわかんなかったよ〜」
 「か、髪の毛・・・切ったんですよぅ」
 「うん、似合ってるよ。とってもかわいいね」
 「え、えぇぇ〜ええっ!?あっあ、ありがとうございます〜☆」
 大神と少女は、先ほどとは打って変わって興奮した様子で互いの姿を見合せ、笑顔を浮かべては再会を・・・まあ、今更なのだが・・・懐かしんでいる様だった。その隣では、突然の展開について行けずにあっけにとられるばかりの椿がぽつんとたたずみ、その足元では、フントが今だ訪れぬ至福の時間をただ、ひたすらに待ちつづけていた。
 
 「じゃあ、帰りながら話そうか。」
 「そうですね。」
 日は既に沈み、帝都の空には一番星がその身を輝かせていた。

 


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