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どれ位の時間が経ったのだろう?
紅蘭は、光武の狭いコクピットの中で、小さく息を付いた。時計という物が無いこのコクピットの中で時間の経過を知るには、蒸気燃料の消費量を逆算して推測するしかない。紅蘭の計算では、アイリスとカンナが脱出に成功してから既に15分は経過しているらしい事が判った。
「・・・・・ちっ」
紅蘭は唇を噛んだ。
降魔は今、紅蘭の真正面にいた。しかし、その様子は先程とはまるで違っていた。ほんの数メートル先に紅蘭機があるというにもかかわらず、降魔は暴れるどころか動こうともしない。時折思い出したかのように触覚と翼を震わせるのだが、それ以上の動きは無く、まるで休息しているかのようだ。
紅蘭には、この降魔の不可解ともいえる行動の理由と、降魔事態の特徴も、なんとなく推測することができた。
一つ。この降魔は霊力というものに対して非常に敏感に反応する。その様は、まるでサメが数キロ先の地の一滴を嗅ぎつけるかのようで、霊力の持ち主への対応はサメのそれが比較にならない程凄まじい(先程のカンナがその実例である)。そして霊力をエネルギー源として吸収し、自分のエネルギーに還元してしまう。この生体構造は極めて合理的であり、狡猾であり、あらゆる意味で最悪だった。
だがもう一つの特徴を紅蘭は発見していた。
降魔がチビロボを追いかけ始めた時、降魔の反応は常に後手に廻っていた。チビロボの飛行軌道を全く予想出来ていなかったのである。
今までのデータにある全ての降魔は、視聴覚に基づく行動を見せていた。そしてその働きは極めて動物的だった。つまり、少なくとも降魔は人間と同じような構造の目を保有していた、ということだ。あらゆる動物は動くものに遭遇した時、それに対して軌道予測という思考を本能的に行う事が出来る。だがこの降魔には、その軌道予測が出来ていない。紅蘭が、思い切って霊力系統の機関を全てシャットダウンさせた時、疑問は確信に変わった。降魔はまるで追っていた獲物が目の前で忽然と消えてしまったかのように、おろおろと慌てふためいたのだった。
この降魔は霊力に対しては恐ろしく敏感に反応する。しかしその反面、目が十分に機能していないのだ。
もしかしたら、霊力系の作動を制限していれば、全く気づかれる事無く接近し攻撃出来るかもしれない。
だが、それを試す気にはなれなかった。白兵戦闘に特化し、あらゆる装甲を強化していたカンナ機でさえ、紙くずのように握りつぶされたのである。万が一当てが外れていれば、歯が立つ相手ではない。それに霊力系統を遮断した今、蒸気機関の補助エンジンだけで動いている光武には、降魔と対立出来るほどの運動能力を発揮する事が出来ないのである。
さらに悪い事に、問題は一つではなかった。海水が洞窟内に浸入しつつあるのだ。
おそらく満潮で水位が上昇したのだろう。海水は既に光武の足首を洗い始めていた。このまま何処まで水位が上がっていくのかは全く見当が付かないが、退路となる入り口付近は完全に水没してしまっているに違いないだろう。その場合、光武での潜水が強いられるのだが、ただでさえ運動性能の低下しているこの光武では、水中での行動は不可能に等しい。何より機内への浸水を食い止める事など出来ないし、あまりにも長い間の潜水は、パイロット自身の呼吸が持たない。
軽率な行動は選択できない。かといって何もせずにいれば、いずれは溺死か、あるいは・・・・・。
「ちくしょう・・・・・」
紅蘭は再び唇を噛んだ。
それは今の紅蘭が選択できる、唯一の行動でもあった。
花やしきと無線での連絡を取り合った後、加山はブリッジの床を蹴る様にして外へ出た。後に残された者達は、皆一様に不可解な顔をしていたが、全員が思っている疑問は一つだった。
「加山さん・・・・・どうするんでしょうか」
さくらが心配そうに呟いたが、その声に答えるものは居なかった。その代わり、マリアがかえでに疑問をぶつけた。
「副指令、どうして行かせたんです!?」
かえではマリアをじっと見つめてはいたが、口を硬く噤んだまま答えなかった。かえでに答をせがむように、マリアは再び叫んだ。
「どうして何も答えてくれないんです?私には、横暴にしか思えません!説明をお願いします!納得のいく説明を───」
だが、マリアの言葉は途切れた。パン、という軽い音を立てた彼女の頬が、見る見るうちに赤く染まった。かえでが、マリアの頬を打ったのだ。
「情けない女ね」痛むはずの頬に手も当てず呆然と立ち尽くすマリアに、かえでは吐き捨てるように言った。「教えてくださいですって?ここを何処だと思ってるの?小学校じゃないのよ?」
パン。
再び平手打ち。マリアの顎が叩かれた方向にうな垂れた。
「あなたには失望したわ、マリア」
「・・・・・何をおっしゃりたいんです」
「あなた達全員よ・・・・・大神君がいないと、花組も形無しね」かえでは目を走らせ、全員の顔を見渡した。「確かに大神君は彼方達にとって信頼できる人間であり、彼方達と加山君にはそれと同じだけの信頼を築き上げる時間が足りないのかもしれない。でもね、それなら彼方達が加山君抜きで花組を運営出来るくらいの力を見せればよかったんじゃないの?あなた達には成長というものが無いの?あなた達は大神君から何を学んだの?」そこまで一気に喋って、かえでは大きく息をついた。「チームワークですって?子供の遊びじゃないのよ?一人が完全に孤立した状態でチームもへったくれも無いでしょう?あなた達は大神君がいないと何も出来ないの?あなた達・・・・・・いえ、マリア、サクラ」かえではその場にいる花組隊員の名を呼びながら、それぞれを指差した「すみれ、織姫、レニ、そしてアイリス・・・・・あなたは大神君がいないと、何も出来ないとでも言うの?そんな姿を大神君が見たら、どう思うかしら?」
かえでと目を合わせる者はいなかった。皆一様に俯き、口を硬く閉ざしていた。かえではさらに続けた。
「確かに、今回の作戦は私達にとって特異なもので、降魔の脅威は私達の想像を上回っていた・・・・・でも、そんな事は出撃をためらう理由にはならないわ。考えてもみなさい───もし我々が作戦を立て直そうとするならば、それなりの時間の猶予が必要になるでしょう。でも、もしその間に降魔に帝都への侵入を許したら、もう我々に勝ち目は無いわ。あの降魔の能力なら、帝都は一日で灰になるでしょうね。だから、あの降魔はここで倒すしかない───ここで倒し、その上で収容するしかないのよ」
そのとき、レーダーが反応を示した。レーダーは海岸線を猛烈なスピードで航行する機影を捉えていた。移動スピードは光武のそれとは比べ物にならず、それまでのどんな機体のデータも当てはまるものではなかった。花やしきに連絡をつけたという加山の仕業だという事が、誰の目にも判った。
機影はさらに速度を増し、ぐんぐんと近づいてくる。
「私にも、あの降魔の目的は判らない・・・・・あの力が、降魔の100%の能力なのかどうかさえも。そして降魔は進化している・・・・・でも、大神君が紅蘭の立場なら、死力を尽くして降魔に立ち向かうでしょう。大神君が加山君の立場なら、たとえどんな手を使ってでも紅蘭の元へ行こうとするはずだわ。それは加山君も同じなのよ。自分しか出来る人間がいないと知ったら、たった一人ででも戦う人なのよ、あの人は───無論、あなた達も同じ気持ちでいるでしょう。でも、今何かが出来るのは紅蘭と加山君しかいないのよ。だから私は彼を行かせたの。私は彼の力を信じているから。与えられた任務にも敵にも、たった一人で戦える人間だと」
かえでは口を閉じ、言葉を待つ為に間を置いた。硬い空気の中で最初に口を開いたのは、さくらだった。
「加山さんなら勝てるんですか・・・・?紅蘭を、助けられるんですか・・・・・?」
かえでは加山の残していったインカムを手に取り、さくらに答えた。
「花組の隊長は彼よ。彼はその存在を証明するでしょうし、あなた達はそれを見ることになるわ」
かえではそう言い、祈るようにしてインカムのスイッチを入れた。
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