ざざっ・・・・・ざざっ・・・・・
 
 満ちていく海水が機体にぶつかる音とは異質の波音に紅蘭が気づいた。紅蘭は耳を澄ますと同時に目を凝らした。そして驚愕した。自分の目の前で沈黙していたはずの降魔が、しごくゆっくりとした動作ながらもこちらに近づいてきているのだった。

 じゃぱっ・・・・・ざざっ・・・・・ざざっ・・・・・

 降魔が水面下で足を動かし、歩を進めていた。飛び掛るような勢いは無いが、その歩みが紅蘭を目指しているのには間違いは無かった。
 (何でや・・・・・全ての霊力は遮断してあるのにっ・・・・・!)
 だが、その言葉を脳裏に浮かべた直後、紅蘭は自分の計画の決定的な誤りに気づいた。
 確かに、光武の機関が有する全ての霊力系統は遮断されている。しかし、絶対に遮断する事の出来ない霊力がこの光武の内部に存在し、紅蘭の位置を降魔に教えていたのだ。その霊力はあまりにも微弱であるため、今まで降魔に気づかれずに済んだだけの事だったのだ。降魔は紅蘭を見失ってからというもの、必死になって紅蘭の姿を探していたに違いない。触覚や羽根を動かし、空気の流れと密度を読んだ。耳を研ぎ澄まし、満ちていく海水以外の波音の変化を確かめた。太陽の光の届かないこの洞窟の中で、見えぬはずの目を───凝らしたのだ。
 「ウチの・・・・・コイツ、ウチの霊力を・・・・・・・読みやがった・・・・・」
 降魔は目を凝らし、光武の霊力エンジンではなく紅蘭自身が発する霊力の波動を察知したのだった。紅蘭の驚愕をあざ笑うかのように、そして何よりも邪悪な目的の為に、降魔がまた一歩紅蘭に近づく。
 
 じゃぱっ・・・・ざざっ・・・・・ざざっ・・・・・

 海水は既に光武の腰にまで達していた。水の抵抗や出力の問題から、蒸気機関の補助エンジンだけで行動する事は出来そうも無い。しかしこのままの状態ではいずれ降魔に発見され、攻撃される事になるだろう。焦る紅蘭の脳裏には二つの選択肢が浮かんでいた。
 一つは降魔をギリギリまで引きつけてから霊力エンジンを作動させ、距離ゼロの状態で光武が有する全ての火力を降魔に注ぎ込むという手段である。だが、霊力を吸収するという異常な進化を遂げたこの降魔にこの方法で立ち向かうには、全ての砲塔を同時に、最大出力で発射せねばなるまい。
 「・・・・・」
 紅蘭は知っていた。全砲塔の全弾照射の衝撃にこの光武が耐えられるはずが無い。超過の出力は霊力エネルギーの逆流、暴走を促し、紅蘭と光武ごと・・・・・いや、この洞窟そのものが一瞬にして蒸発するに違いない。それは紅蘭の自爆を意味していた。
 
 じゃぱっ・・・・・ざざっ・・・・・ざざっ・・・・・
 
 そしてもう一つの選択肢とは、直ちに霊力エンジンを機動させ、降魔に真っ向から突貫するというものだった。
 だがこの状況、圧倒的な降魔の力の前では、この方法こそが自爆に等しいのかもしれない。長、中距離からの支援攻撃を主に担うこの機体で、紅蘭が対降魔の近接戦闘を制した経験は数える程しかなかった。仮に、十分に距離の取れる洞窟の外で戦うとしても、光武一機が勝利を収める見込みはゼロか、ゼロ以下だろう。
 命と引き換えに降魔を消滅させる(正確には、その可能性を捻出するだけだ)か、死を覚悟しての特攻か。

 ガコッ!

 ついに降魔の爪先がが機体に触れた。しかし、霊力の波動を読み取ってはいるものの、今までと比較しての微弱さに戸惑っているのか、降魔は一方的な攻撃を加えようとはしていない。野生動物が時折見せる行動と同じく、爪先で引っかくようにして紅蘭の反応を探っているのだった。だが、この気まぐれも何時までの事なのか。一分後か?一瞬後か?
 「はは・・・・・どっちに転んでも、ウチは死ぬんか。どないにもならんがな・・・・・けったいな話やで」
 どの選択肢を選ぶにせよ、紅蘭は霊力エンジンの起動キーを廻さなくてはならない。その場合、エンジンが作動した瞬間に降魔が霊力を察知し、そのまま叩き潰されてしまうかも知れないのだ。混乱する頭の中で、死のイメージだけが確実になっていった。
 「はは・・・・・ははは・・・・・」
 究極のブラックジョークに、紅蘭は震えるように笑った。それは今までに体験したどんなギャグよりも強烈で、辛らつで、残酷な笑いだった。紅蘭の頭の中で、ギラギラに輝くスパンコールのスーツを着込んだ漫才コンビがオチをつけた。『もうやっとれんわ!勝手にせい!』。
 極限状態が紅蘭の精神を切り刻んだ。起動キーに手が伸びる。
 「死ぬわ・・・・ウチ、死ぬ・・・・・」
 恐怖に引きつり、震える紅蘭の指先が起動キーにかかった。沈黙していた計器類が眩しく瞬き、唸りを上げて霊力機関のタービンが回転を始める。自分の体の真下で突然に膨れ上がった霊力に反応し、降魔が身を引いた。
 「・・・・・ギャァアアアアアア!」
 機体を震わせるほどの長い咆哮が轟いた。飛び掛ろうとする降魔の背が曲がり、四肢が水底を掴む。それは野生の猛禽類が見せる攻撃姿勢と同じだった。降魔は次の一瞬で紅蘭を屠り去ることに決定したのである。純粋な攻撃衝動に駆られ、降魔が飛んだ。紅蘭は目を閉じた。
  
 『ドゥッ!』
  
 爆音と同時にミサイルの直撃を受けた降魔が弾かれるように吹き飛んだ。致命傷とはならないものの、降魔は水面に叩きつけられる。
 「はぁ・・・・・っ!はぁ・・・・・!」
 紅蘭は、自分の行動が信じられなかった。自分の意思と関係なく動いた指先は、今、しっかりとトリガーにかけられている。爆音の残響と降魔の悲鳴が渦巻くコクピットの中で、紅蘭には自分の鼓動の音だけが聞こえていた。
  
 紅蘭は計器に目を走らせた。自分の装備状況とそれぞれの残弾を素早く確認する。
  
 「ギャァアアアアアア!!」
 思わぬ反撃に出鼻を挫かれた降魔が、怒りを猛らせて再び紅蘭に飛びかかる。今度は目をそらさなかった。トリガーの接続を素早く切り替え、そのまま握りこんだ。
 ボボボボボゥッ!
 背面に装備されたロケットランチャーだ。照準を合わせる事も無く飛び出した数発のミサイルが降魔を捕らえ、残りは洞窟の壁面と天井を破壊した。崩れ落ちた岩盤が水面に落ち、その勢いで洞窟内部に津波のような波が立つ。
 「こんちくしょぉおおおおお!!!」
 暴れまわる水の流れを必死で耐えながら、紅蘭はトリガーを絞ったまま、発射口を頭上に向けた。岩盤は瞬く間に破壊され、天井にぽっかりと穴が開いた。次の瞬間、紅蘭はその穴目掛けてジャンプした。
  
 
 
 
 
  紅蘭は思った。何故自分の指が無意識のままトリガーを引いたのか。
  あの時、もう完全に最後だと思っていた。
  しかし、自分の心は知っていた。
  何としても生きるべきだ、と。生きて再び会うと誓った相手がいる限り、自分一人で死んではならぬと。
  トリガーを引いたのは私の心。自分で自分の心を裏切ってどうするというんだ!
  生き残る。死にはしない。死ねないのだ。
  やるべき事がある限り、守るべきものがある限り、待っている人がいる限り・・・・・ 
  ウチは、絶対に死なれへん!
 
 
 
 
 
 ホバリング飛行の限界を超えたのジャンプは、紅蘭を見事に外界へと運んだ。と同時に、数時間ぶりに見る日光が激しく目を刺し、紅蘭は目を瞬いた。転がるように着地を済ませ、無線をオープンにする。
 「生きる。死なない。生きる。死なない・・・・」
 ミサイルの照準を自分が出てきた穴へ合わせながら、言葉を繰り返す。自分を追って来るはずの降魔の姿は、まだ無い。
 「紅蘭!生きてたのね!」
 雑音交じりのスピーカーから聞こえてきたのは、まぎれも無いかえでの声だった。聞きなれているはずの声が、とても懐かしく感じた。
 「かえではん!ウチ、まだ生きとるで!心配してくれはったんかいな!」
 紅蘭は返事を返した。だが無線のむこうのかえでは、その言葉に返答することなく言葉をたたみ掛けた。
 「紅蘭、今すぐ海岸へ移動して頂戴!マンタレイがこっちに向かってるわ!」
 「マンタレイが!?」
 マンタレイとは、先日紅蘭と花やしきが共同開発した水上用の蒸気高速挺である。大きく扁平したその機体の上面に光武を乗せる事を目的とし、その場合の操作は火器類に至るまでの全てを光武からコントロールする事が出来、また光武の背面に接続する事によりブースターとしての使用目的もある。その場合には高出力を生かしての飛行活動さえも可能にする。マンタレイはこれからの作戦活動に大いに期待を寄せられていた新兵器である。
 今は花やしきで実戦配備を待ちながら調整を繰り返しているはずのあの機体が、今ここに向かってきているというのだ。紅蘭は急いで水平線に目を走らせた。太陽がギラギラと反射する水面の中に、確かに一筋の水煙が上がっている。
 間違いない。あの移動スピードはマンタレイだ。
 「アレを出してくれたんか!?かえではん、もう百人力やで!?」
 マンタレイの性能を誰よりも知る紅蘭が思わず歓喜の声を上げた、まさにその時だった。
 紅蘭の耳に何かが聞こえてきた。それは今までに聞いたことも無いような猛烈なエンジン音だった。まるで大型の爆撃機が何機も並列飛行しているような爆音が、マンタレイがやってくる方向から近づいてきていた。だが耳に聞こえる音の大きさから察すると姿が見えても良さそうなものなのに、紅蘭にはマンタレイ以外の機影を見つける事が出来なかったのである。
 「かえではん!一体あの音は何なんや!?マンタレイはあんな音を出すもんとちゃうで!?」
 紅蘭はスピーカーに向かって叫んだ。しかし、スピーカーから聞こえて来るはずの声は、外からの爆音によってかき消されてしまった。
 「・・・・・何なんや、一体?」
 だが、紅蘭にそれ以上の追求は許されなかった。突然、洞穴の天井に開けた穴から降魔が飛び出してきたのである。
 「ギッシャァアアアアアアアアア!」
 降魔は躊躇が無かった。洞穴から姿を現すと空中で姿勢を定め、そのまま滑空するように紅蘭へと突進した。紅蘭は完全に虚を突かれてしまった。トリガーも、ホバリングも間に合わない。マンタレイはまだ来ない。紅蘭が攻撃態勢どころか身動きすら取れぬ間に、ついに降魔は紅蘭の両椀に手を掛けた。降魔はカンナにした時と同じように、紅蘭の霊力を吸い取ろうとしているのだ。
 しかし降魔の試みは遮られた。降魔と光武との僅かな空間に、突如光の槍が打ち込まれたのである。降魔は身を引き、紅蘭は頭上を見上げた。雲一つ無い無い空に燦然と輝く太陽。より近づいた爆音。
 「待たせたな!」
 太陽の中から声が轟いた。聞き覚えのある、軽薄な声。
 そして光の中かから姿を現したのは、鉄の翼を持つ異形の機体だった。   
 「まさか・・・・・ガルーダ・・・・・」
 
 
 
 
 
 ガソリン。
 海底から汲み上げた原油を精製して生み出され、既存の液体燃料よりも更に低い沸点で気化し、蒸気とは比較にならないほどのエネルギーを秘めた燃料物質。それは石油と石油精製技術の発見以来無限の有用性を秘めながらも、取り扱いの難しさと蒸気機関の発達により実用を見送られてきた物質でもあった。
 アイゼンクライトを生み出した後のドイツ・ノイギーア社において、ガソリンを燃料とする動力機関を開発し、蒸気を上回る物理エネルギーを確保しようという試みが計画された。計画にはドイツ・ノイギーア社と神崎重工、そして設計を初めとする全ての面において花やしきの技術スタッフが携わり、作戦は『キメラ計画』と呼称された。極秘裏に進行していったこの計画はやがて実を結び、ついにノイギーア社は光武の起動に十分な出力を持つガソリンエンジンを生み出した。この動力機関の完成がもたらした功績は光武の開発のみに留まらず、以後歴史に登場する全ての機械工学においての可能性を広げる事となる。
 だが、性能を重視するあまりに生産性を完全に度外視した設計が材料不足と高コストを招き、さらに爆発的な出力をコントロールできる適任のパイロットが不在である等の理由により、キメラ計画はたった一機の試作機の完成を最後に座礁し、そのまま無期限の中断、事実上の打ち切りとされた。完成の暁には帝國華撃団へ配備されるはずだった新型機の管理は花やしきが請け負い、管理は一部の花やしきスタッフと隠密部隊・月組に任された。機体はデータの採取にのみ使用され、実用案は完全に忘れ去られていた。
 その実験機が今、加山の手によって覚醒したのである。
 一切の霊子機関を必要とせずとも、その機動性は他に存在するどの霊子甲冑をも上回る『機動甲冑』。
 高出力のエンジンは一切の付加ユニットを必要としない単独での飛行活動を可能にし、機体の背には航空機を思わせる翼を有しているのが最大の特徴。
 それが『無霊力起動型人型蒸気甲冑実験機/ガルーダ・プロトタイプ』の雄姿だった。
 「俺は『カラス天狗』と読んでいるがね」
 背中の排気口から黒煙を吹き上げながら、稲妻のような爆音を轟かせるその機体の持ち主は、そう言って自己紹介を締めくくった。
 


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