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翔鯨丸が水に浮く?
かえではたった今自分の耳で聞いた意外な言葉を反芻させた。
結論から言えば、翔鯨丸は水に浮く。万事に備えを持つ翔鯨丸は、緊急時の不時着水をも可能にしていた。しかし他の航空機とは異なる独特のフォルムが影響し、水平を保つためには着水の際に格納スペースにあえて浸水を許し、その海水をバラストとして利用する必要がある。しかも着水したら最後、再び空へ舞い上がる事など出来ない。そういった事を考えると、翔鯨丸は『水に浮く』と言うよりも『水に沈まない』と言うべきなのだ。
水に浮くかという質問は、翔鯨丸が着水を迫られている事を意味している。かえでは翔鯨丸が着水する事によって、この状況が好転する選択肢を導き出そうとした。しかし次の瞬間、ついにその答えを探し当てると、かえでは自分の想像を遥かに上回る加山の豪胆さとその発想、そしてもたらされるであろう絶望的なリスクに青ざめた。
(冷却タンク・・・・・!)
加山は降魔を翔鯨丸の冷却タンクに激突させ、冷却液による超低温を利用して降魔を氷漬けにしようとしているのだ───おそらく、ガルーダごと。
翔鯨丸の船尾部分にはメインエンジン用の冷却タンクが備え付けられている。大出力を一手に支える蒸気エンジンは、その外見にそぐわない高い機動力の代償として、常に膨大な熱量に脅かされていた。一般に考えられるような冷却機関では熱処理が追いつかない為に、翔鯨丸は液化した二酸化炭素をタンクに注入し、そこから気化したガスを利用して熱量を強制的に下げているのだ。冷却タンクには常に霜が付着している程の低温である。その冷気を直接降魔に浴びせる事が出来れば、氷漬けまではならずとも、平然としてはいられないだろう。冷気に触れた部分から肉体組織がたちまち破壊され、崩れ落ちるに違いない───降魔を生物として考えるなら、の話だが。
同時に、水に浮くかという質問の意図も明らかになった。冷却機関を失った蒸気エンジンが作動し続けられるはずが無い。冷却タンクへの衝突と同時にエンジンを緊急停止させ、熱量とエネルギーの暴走を逃れる必要がある。ともなれば不時着水は必至。機体の安定を確保した後に海軍へ協力を要請を出せば、トロール船に引かれつつなんとか帝都へ帰還出来るかも知れない。
だが万が一、緊急停止が間に合わずにエンジンが暴走するか、あるいは的が外れてタンク以外の部分に降魔が激突した場合、エンジンは直ちに暴走し翔鯨丸は瓦礫に姿を変えるだろう。暴走までの猶予は無いに等しく、乗組員にそれを逃れる術は無い。
仮に万事が成功して無事着水まで済ませたとしても、問題はまだあった。密閉とあらゆる衝撃に対する対策がなされているコクピットはまだしも、格納庫に積んである光武は塩水の浸水に晒される事になる。帝都に戻った後で相応のメンテナンスが必要とされるだろうから、暫くは使い物にならないだろう。浸水の影響と冷却タンクを破壊された翔鯨丸の修復にどれほどの期間と予算が費やされるのかは見当がつかない。
失敗すれば文字通りの死。成功しても華撃団は両手をもがれる。そしてどちらにも共通して言えるのは、作戦終了時に加山が生きている可能性が限りなくゼロに近いという事。
加山の作戦の実態は、賭けと呼ぶのもおこがましい暴挙とリスクの羅列だった。
艦内の全員が見守る中、かえでは迷った後に言葉を吐いた。「翔鯨丸が水に浮くとして、一体何をするつもりなの?」
しかし加山はその質問に答えなかった。代わりに割って入ってきたのは紅蘭の声だった。かえでよりも一足早く全てを察していたのか、紅蘭の声はすぐさま全てを否決した。
「加山はん、そいつはヤバイ!ヤバ過ぎる!」
加山は引かなかった。
「もう、危険や代償をためらっていられる状況じゃないだろう!?奴を抑え込むには今以上の物理的手段が必要なんだ!」
「ウチ等は追い詰めてる!ウチとアンタとで、なんとか出来るやろが!!」
「ガルーダでは奴を止められない!だが翔鯨丸なら出来るんだ!」
「アンタが死んでまう!間違い無く死ぬんやぞ!?」
「ここで降魔を止められず、帝都に進入されたらどうする!奴一匹の為に帝都が壊滅するぞ!」
「でも・・・・・でも!」
「紅蘭!」加山の怒号が会話を制した。ビリビリに割れた声がスピーカーから鳴り渡り、紅蘭とかえでのみならずそれを耳にした全員が静まり返った。「これは帝国華撃団に課せられた作戦だ!ならば俺はその作戦を実行する。可能性のある限りだ!その確立があろうが無かろうがかまうものか!」
降魔の影を見つけたのだろうか、ガルーダの機銃が火を吹き、海面に再び水柱が立った。加山はトリガーを引き絞り続け、弾倉が空になると同時に機銃を除装した。接続部分が火花を上げて弾け飛び、機銃は引力に導かれて落ちていく。
「やめてや、加山はん!」
加山は紅蘭の叫びを黙殺した。そして、これが答えだとでも言うようにさらなる除装を続けた。
「いつか、こんな日が来ると思ってたよ・・・・・華撃団はチームだ。所詮チームだ!一人では何も出来ない!やろうとしない!君達の弱点はそれだよ!大神もそれを怖れていた!」
機銃が海面に落ちたのを合図にしたように、残弾の尽きた火器装備が次々と除装された。ミサイルポッドや大口径の無反動砲が次々と海面に落ちていくと、最後にはガルーダの意外にもスマートなフォルムが姿を残した。今やガルーダに残されているのは動力エンジンと燃料を共有するレーザー砲と、もう一方の手に残されていたバスターランスがあるのみだった。
「フランスに渡る前、大神は俺に言ったよ・・・・・『彼女達には足りないものが多すぎる。しかし、俺がいる所為でそれに気付いていない』ってな!君達は気付いたか!?目の前から消えた大神以外に、自分に何が足りないか気付いたか!?
一年もすれば、大神は戻ってくるだろう。そうすれば君達は元通りだ。君達自身もそれを望んでいるかもしれない。大神は君達の全てを再び満たしてくれるだろうさ。だがそれでいいのか!?大神が戻ってきて、全部が元通りで、『お帰りなさい』しか言えなくていいのか!?君達は何だ!?ただの留守番なのか!?いいかげんに気付けよ!君達に必要なのは大神なんかじゃない!一隊員としての・・・・・たった一人ででも自分を支えられる、君達自身の力なんだ!」
「加山はん・・・・・」
紅蘭が加山の名を呼ぶと、加山はやや口調を落ちつかせ、さらに続けた。
「よくやってくれたな、紅蘭」
「えっ?」
「俺が指摘した個所に手を入れてくれていたんだろ?そうじゃなかったら君の機体は洞窟の中から抜け出せなかった筈だ。俺も君を助ける事は出来なかっただろう。君にしか出来ない、素晴らしい仕事ぶりだ」
「・・・・・」
そうだったかもしれない。そうじゃなかったかもしれない。
第一、自分が加山の指示に従った理由はなんだったろう?一瞬思い出しかけたが、紅蘭にとってはそんな事などもうどうでもよくなっていた。彼女は黙って加山の言葉を待った。
「紅蘭、俺を信じろ!そして何よりも君自身を信じろ!君はそれが出来る人間だ!だから君は大神に選ばれた!そして今はそれを証明する時なんだ!だから信じろ!君こそが花組のライトスタッフなんだ!」
かえでは加山の言葉を黙って聞き、その行為をただ黙って見ていた。かえでの言葉を待っているのだろうか、加山はそれ以上喋らなかった。かえでは一瞬両目を閉じて、過去に思いを巡らせた
大神くん・・・・・良い友達を持ったわね。
姉さん・・・・・あなたが育ててくれたこの人は、今でも成長を続けているわよ。
決断は下された。
「加山くん」
「はい」
「翔鯨丸は、水に浮くわ」
待っていた言葉をようやく聞いた加山が無線を切ろうとするその前に、かえでは「でも」とすばやく続けた。
「私達は、あなたが生きて帰ってくるという可能性を信じてるわ。それがたとえ、どんなに小さくてもね」
「・・・・・了解」
加山はそれだけ言うと、無線を切った。かえでは紅蘭に無線を切り替え、言った。
「紅蘭、聞いていたわね」
「はい」
返答した自分の声があまりにも落ち着いている事に、紅蘭は驚いた。無線を伝わってくるかえでの声もまた、落ち着きを取り戻しているようだった。
「加山君をサポートしてあげて。全てをあなた達に任せるわ」
「了解や!」
そして作戦は下された。
紅蘭は横目を使い、自分の隣で制止飛行しているガルーダを見た。既に無線を遮断してしまった加山の、その表情を覗う事は出来ない。しかし、その必要も無いだろうとも思った。先程受けた加山の言葉だけで、もう十分だった。
自分は、もしかしたらとてつもなくラッキーな人間なのかもしれない。大神に愛され、加山の信頼を受け、そして今、最大の敵を相手にする事を任されている。そう思うと、先程まで心にこびりついていた恐怖感が徐々に晴れていった。そして自分の内側に、震える程の力が充満していくのがはっきりと判った。それは彼女自身の霊力でもあり、また別なものでもあった。
しかし紅蘭がその力の正体に気づくよりも早く、海面に大きな水柱が立ち上がった。
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