「すみれさん、急ぎましょう!」
 「分かってますわっ!」 
 「マリア!コレ訓練と違うのかっ!?」
 「実戦よ!そんな話、今朝のミーティングには無かったわ!」
 
 警報が鳴り響いてからの帝劇は、久々の緊張感に包まれた。それぞれがそれぞれの場所でその警報を聞き、あるものは厨房から、あるものは舞台袖から地下へと続くシューターへと走りこんだ。
 紅蘭もまた、地下格納庫に警報が鳴り響くと同時に格納庫の隅のロッカーに走った。そして扉を勢いよく開けると、中から緑色の戦闘服を引っつかんで取り出した。こんな風に戦闘服を自分で管理しておけるのは、シューターの無い地下にいることの多い彼女に限っての配慮である。
 「一体なんやの、もう!」
 突然の警報と久々の早着替えに戸惑いながら、紅蘭は知らず知らずのうちに言葉を漏らしていた。作業服を脱ぎ捨てて床に落とすと、一瞬だが控えめのプロポーションの体が姿を見せた。そしてパンツとブーツに一気に足を通し、霊力伝導用のインナーシャツを着用すると、紅蘭は上着を脇に抱えて走り出した。
 
 
 紅蘭が作戦司令室に飛び込むと、加山を含む全員が既に席に着いていた。かえでに向かってすまなそうに会釈をすると、かえでは無言で席に着くようにと促した。
 「では、今回の状況を報告します」
 咳払いの後、かえでが手にしていたファイルを読み上げた。
 
 
 「現場は熱海よ」
 かえでは意外な地名を切り出した。
 熱海といえば、以前黒鬼会との戦闘の場になった地である。夏季休暇中の出来事であったが、楽しい思い出と同時に、影山サキ・・・・隠密・水狐との戦闘という辛い記憶が全員の胸に蘇る。
 「それで、その状況は?」
 それまで黙っていた加山の質問が、皆のざわめきを静めた。かえでがモニターをスイッチを切り替えると、おそらくその現場であろう熱海の海岸風景が画面いっぱいに映し出された。白い砂浜と美しい海岸線が実に見事で、もしこんな状況でもなければ、皆が歓声を上げたに違いなかった。
 「ここに見える岸壁の向こう側に、以前水狐がアジトとして使っていた洞窟があるの。そしてその中で、あるものが発見されたらしいのよ」
 「ある物とは?」
 マリアの声に、かえでは一呼吸おいてから答えた。
 「仮死状態の降魔よ」
 作戦司令室を再びざわめきが包んだ。
 「仮死状態・・・・降魔の生態について、今までそんな報告は無かったはずだ」
 冷静なレニの言葉に、全員がうなづいた。だが、かえでは別のファイルを眺めながら、説明を加え始めた。
 「実際、仮死という表現が適切かどうかも怪しいのよ。その降魔は完全に活動を停止しているらしいの。動態反応も生体反応無いそうよ。だけれど、死んでいるという判断は出来ないわ。死んだ降魔は形を無くして消滅するのだけれど、形が残っているという事は・・・・」
 「生きているかも知れない、ってことだな?」
 一人、カンナが納得した様に頷いた。
 「降魔兵器であるという可能性は?単体で降魔が現れる事自体、不自然に思われるのですが。それに降魔兵器であるとするならば、この状況に対する納得も出来ます」
 加山が新たな可能性を示唆したが、かえでは首を横に振る。どうやらその可能性は無いらしい。
 「この降魔は、おそらく術者のコントロールを離れた事で、活動エネルギーとなる妖力を供給されずに「冬眠」してしまったのでしょうね」
 「なるほど、『冬眠』か」
 その表現は、その降魔がいずれは動き出す可能性があることを明確に表していた。そしてその事実は、その場にいた全員の表情を強張らせたのだった。
 幾多の戦闘の経験を基にして、降魔についてのあらゆる事項が明らかになってはいたものの、それらは未だ多くの謎に包まれていた。妖術者の使い魔である降魔ではあるが、そのコントロールを離れた場所での発見例は全くと言って良いほど無い。かえでの「冬眠」という表現は、本当にそれ以外の表現方法が見つからなかったから、用いられたのにすぎなかった。もし、降魔がエネルギーの節約の為に活動レベルを低下させるなどという、動物に似たような生命体であるとするならば、どのようにして群れの秩序が保たれているのか、個々の間でどのような意思疎通が図られているのか、そしてそれが本当の事なのか・・・・全ては、誰にも判らないのだった。
 
 「ちょ、ちょっとタイムや!」
 状況の説明も済んだ頃、紅蘭が突如声を上げた。
 「どうした紅蘭?まさかトイレか?」
 カンナがすかさず茶化す。しかし、そんなカンナの声も耳に入らないような真剣さで、紅蘭は続けた。
 「実は今、全部の光武を起動することが出来へんのや」
 「なんですって?」すみれが驚きの声を上げ、紅蘭に食ってかかる。「ではどうしろとおっしゃるのです?まさか降魔相手に素手で出撃しろとでも?」
 紅蘭はすみれの言葉に答えるためにも、そのまま続けた。
 「整備に出した光武の武装は、まだ花やしきから返却されてへんのや。今起動出来るのは、元々武装のないカンナ機とアイリス機、そして花やしきに出さなかったウチの機体や。織姫はんの機体は丁度さっきバラし始めたとこやから、出撃までに組み直すのはとても無理や」
 紅蘭がそう言い終えると、司令室はしんと静まり返った。たとえ活動を停止している降魔とはいえ、活動できる機体が三機のみという状態は余りにも危険だった。とはいえ、丸腰の光武で出撃する気にはなれない。白兵戦に特化されたカンナ機以外の格闘能力は、それほど高いものでは無いのだ。
 「しかし、仕方ないだろう」加山が口を開いた。「戦力の低下は否めないが、今回の相手は降魔一匹だ。万が一を考えても、全機を導入するほどの戦闘にもならないだろう。バックアップは翔鯨丸に任せて、出撃できる三機だけで行くんだ」
 しかし加山の提案に反発の声が上がる。声の主はさくらだった。
 「でも、たった三機だけでの出撃だなんて・・・あたし、何だか不安です」
 さくらの意見に、マリアが同意する。
 「今回のケースは余りにも異例です。たとえ降魔一匹とて、油断は出来ません。三機のみの出撃は軽率すぎると思います」
 マリアらしい、端的で慎重な意見だ。そしてそれに皆が同調した。降魔迎撃という任務にとって、この『異例』というシチュエーションは、慎重になるには十分すぎる理由を持つのだ。
 だがかえではその意見を棄却し、そのかわりに新たな事実を発表した。
 「今回の任務は降魔の撃退ではありません。捕獲です」
 作戦指令室を再びざわめきが包んだ。が、かえでは構わず任務の全貌を明らかにした。
 「先日、賢人会から降魔についての徹底的な研究を要求されました。今回のこの目標は、その研究にとっての多大な成果をもたらしてくれるだろうという、大きな期待が寄せられています。捕獲手段に光武運搬用のカーゴを使い、可能な限り無傷での捕獲を、今回の作戦における最優先事項とします」
 降魔の捕獲。
 それは『沈黙する一匹の降魔』という、今までに無い異例のシチュエーションにおいて、更に異例の作戦だった。
 
 結局、三機のみでの出撃は加山の隊長権限により決定された。
 降魔の捕獲・調査にはカンナと紅蘭の両機が当り、アイリスは現場でのバックアップ。残るメンバーは翔鯨丸での待機、及び捕獲した後のカーゴの回収作業を命ぜられる事となった。作戦発表の後、翔鯨丸の出発に備え、直ちに全員が準備態勢にとりかかった。
 「しかし回収とはね」 
 既に光武を翔鯨丸に移動させたカンナの独り言が、同じく光武を積み込もうとしている紅蘭に、無線を通して聞こえてくる。
 「どしたん?カンナはん」
 「いや・・・アタイ思うんだけど」カンナは、普段の彼女からは想像出来ないような、実に神妙な声で話し始めた。「空手の場合だけど、相手をぶん殴るってのは実は簡単なんだよ。もし自分が相手よりも明らかに弱かったとしても、それなりの作戦がありゃ、相手をぶん殴ってぶっ倒すことは出来るんだ。でもな、いざ相手をとっ捕まえるとなると、これは骨が折れるモンなんだぜ」
 カンナの意見に、紅蘭は相槌を打った。
 「今回の出撃、どうにもうさんくさい。アタイにゃ、どう考えても一筋縄で上手くいくような気がしねえんだよな」
 カンナがそれきり通信を切ってしまったので、紅蘭は一人、光武の中に取り残された。
 紅蘭は、鈍く光る光武の計器類を見つめながら、カンナの言葉を頭の中で反芻させていた。
 確かにそうだ。
 結果から言って、どんな降魔であれ、撃退するのは簡単だった。
 しかし、今回の作戦は捕獲だ。しかも、無傷での回収が理想的であるとされた。
 はたして、全機での撃退を常の任務としてきた花組に、たった三機の出撃でそれが可能なのだろうか?
 それに、今更降魔の研究とは何事だろう?今までに挙げられたデータ以外の何が必要とされているのだろう?賢人会は、日本政府は、降魔の何を知ろうとしているのだろう?知ってどうしようというのだろう?
 
 わからない。
 もう、何もわからない。
 
 紅蘭の不安は、光武積み込みの作業が終了する頃には、彼女の心をすっかり支配していた。
 
 そして10分後、翔鯨丸は何のためらいも見せぬまま、熱海上空へと飛び立った。

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