それはある夏の日。とても暑い日のことだった。

 「アレは買うた、アレも買うたし・・・なぁ大神はん、あとはなんやったやろ?」
 「え〜と・・・メモは紅蘭が持ってるんだろ?」
 「あ、そやったな・・・何や、バインダーと文房具がまだやんか。ほないきまひょか」
 「紅蘭!ち、ちょっとまってくれよ;;;」
 浅草のある商店街。人波でごった返すその中を、チャイナドレスの紅蘭はスムーズな足運びで目的地へとすり抜けて行く。そしてその後ろを、両手に荷物を満載させた大神が、あっちにヨロヨロ、こっちでもたもたと躓きながら付いてきていた。
 「まったく・・・なんで俺が花やしき支部の使い走りなんか・・・」
 大神が控えめながら愚痴をこぼす。
 「そないに愚痴らんと、のほほんといきましょうや、大神はん」
 それを耳にした紅蘭はそう言うと、眼鏡の奥で笑って見せた。しかし大神の言うことももっともで、大神と紅蘭は花やしき支部に別件で立ち寄ったところを、受付嬢に「指令からの緊急事態」という振れこみで買い物のメモを預かってしまい、まんまとしてやられてしまったのである。さらに買い物は既に2時間以上にもおよび、その間中大神は全部の荷物を持ち歩かなくてはならなかったのだから、多少の愚痴がこぼれるのも、まあ無理もないことだった。
 「それになぁ、大神はん?」紅蘭が続ける。「こんな美人と二人っきりで歩いとるんやから、もうちょっとええ顔してもええんやないの?」
 「勝手なこと言って・・・なら荷物片方もってくれよっ;;;」
 「っんとに・・・ムードないなぁ。ほな、そこのそれ貸しいな」
 紅蘭は大神から、比較的小さな手提げ袋を受け取ると、横に並んで歩き出した。両手で抱えていた荷物が一つ減ったおかげで視界が開け、大神が視線をずらすと、ちょうど紅蘭の2本のおさげが歩調に合わせて揺れているのが見えた。ノースリーブの赤いチャイナドレスは大神にとって見なれたものになっているはずだったが、こういった人ごみの中で目にすると、その和服とも洋服とも異なる華やかさに改めて驚いた。そしてそのドレスを不自然なく紅蘭が着こなせているのは、やはり紅蘭が中国人だからなのだろうか、などとも思ったりもしてみた。

 そうしてさらに1時間もすると、やっと全ての買い物が終わった。全部の荷物を花やしき支部に持って帰り、まだ途中だった用事も済ませた頃には時計は既に2時半を回っていた。
 「じゃ、帰ろうか紅蘭」
 「ちょっと待った」都電の停車場へ歩こうとした大神を紅蘭が呼び止めた。「あのな、大神はん」
 「?何だい?」
 「もう、帰るだけやろ?・・・そんなら・・・寄り道していかへん?今日は近くのお宮でお祭りがあるんやって、受付の子が言うとったんや」
 「?」 
 そこまで言った紅蘭は、ちょっと媚びた視線で大神を見上げた。
 「せやから・・・なぁ?あとでマリアはんにでも迎えに来てもらうことにして・・・うちら、昼ご飯もよう食べてへんし・・・」
 「ふーん、じゃあ行ってみようか?」
 「うん!」紅蘭はぱあっと顔をほころばせると、人目もはばからずに大神の腕を組んだ。「行こう!善は急げや!」
 そして紅蘭は大神を引っ張るようにして、その神社へと続く路地をスキップ交じりで歩き出した。普段は地下室に閉じこもりきりの紅蘭にとって、今日こうして大神と二人っきりでいることが新鮮で、何より楽しかったのだ。
 こうしてデートのやりなおしがはじまった。
 

 二人が神社に着くと、既に広場はいくつかの出店と、それを取り囲む人達でにぎやかだった。紙芝居には子供達が集まり、笑い声に混じって弁士の声が聞こえてくる。出店は見世物から食べ物まで様々で、一番近くに陣取っている出店からは醤油のこげる香ばしい香りが漂い、境内を包んでいた。
 「うわぁ、ぎょうさん来とるなぁ」
 「ああ、盆踊りなんだね」
 大神が飾り付けられた沢山のちょうちんを眺めて言った。
 「そやねぇ。大神はん、ここの盆踊り踊れる?」
 「え?いやぁ、盆踊りは地元の栃木でしか踊ったことないよ。多分その土地ごとに違うものなんじゃないかな。中国には盆踊りある?」
 「もちろんあるよ。でも中国のはもっと派手やで。バンバン爆竹鳴らしたりしてな」
 「それ正月とか旧正月の祭りじゃないのか?」
 「中国の祝い事っていったら、『酒はなくともまず爆竹!』なんやで」
 いつにも増してよく喋る紅蘭を隣に、大神は石灯籠の土台に腰掛ると懐から煙草を取り出した。携帯用灰皿を片手に備え、オイルライターで火を付ける。
 (久しぶりだな)
 大神は、周りの景色に溶けるように消えてゆく煙草の煙を眺めながら、口の中でそう呟いた。
 帝都を守ることが自分の使命。しかしその大義も、時として守るべき『帝都』の存在をかき消してしまうことがある。
 自分の関係の無いところで、自分の生活とは無縁の出来事が行われていることに何の興味も不思議も無い。悪だろうが何だろうが、出動がかかればその場に参じて『行動』する。そこには『守るべきもの』の存在は意味を持たない。そこに在るのはただの『敵意』のみだった。ただそれによってのみ突き動かされ、『正義』という言葉を振りかざしては殺戮を繰り返してゆく。俺もその一人だったのではないのか?
 対降魔戦闘部隊としての出動命令を聞かなくなって久しい。しかしながら、最近の大神は自分の存在に揺らぎを感じていた。
 「そうなんだよな・・・・」 
 「?・・・大神はん?何言うてはるん?」
 「え?ぅわ!」
 声に振り向くと、いつの間にやら互いの鼻先が触れるほどに紅蘭の顔が近づいていた。
 「何だよ紅蘭!煙草吸ってるんだから顔近づけちゃ危ないよ」
 慌てて後ずさる大神の頬が朱に染まってゆくのを観察しながら、紅蘭はにんまりとした顔でさらに迫った。
 「何やそんなん、とっくに火ぃ消えとるよ」
 「ん?あ、ほんとだ」
 慌てて火を付け直そうとする大神を見て、紅蘭はすねた様にしてくるりと背中を向けた。
 「大神はん、うちの話全然聞いてくれてへんのやねぇ・・・そんなに帰りたいんか?帰ろうか?」
 「な?そんなこと無いよ、聞いてるきいてる:::」
 「うそやもん。聞いてへんもん」
 「聞いてるよ〜、こっち向いてよ〜」
 「じゃ何話してた?」
 紅蘭が唇を尖らせているのが分かるような口ぶりで、背を向けたまま大神に問いかける。
 「え・・・っと・・・」
 「ほ〜ら聞いてへん。大神はんはいっつもそうや。うちなんかお構いなしや」
 「な、何だよ。そんな言いかたしなくっても・・・」
 「大神はんは・・・うちのこと嫌いなんやろねぇ・・・?」
 「え、えぇっ?違うよっ、そんな・・・」
 答えに詰まる大神だった。
 何なんだこの展開は?なんで俺は慌てているんだ?
 なんなんだよいきなり嫌いとか言って・・・そんなの・・・何か変じゃん・・・
 紅蘭の言葉を頭の中で反芻させている内に、それまで必死に紅蘭をなだめていた大神もだんだんと黙り込んでしまった。もう一度紅蘭の背中に視線を合わせてみると、肩の辺りが小さく震えていた。
 (やばい・・・)
 「ごめん・・・」大神は殆ど突発的に誤っていた。「話、聞いてなかった・・・もう一回言ってくれたら、今度はちゃんと聞くよ。ほ、ほら、紅蘭の話面白いしさ、・・・って言っといて聞いてなかったんだけど・・・でもいつもは聞いてるんだよ、いつもいつも面白い話してるなぁって。紅蘭の話は・・・って言うか・・・楽しそうに話してる紅蘭を見てると、何て言うのか・・・こっちまで楽しくなるって言うか・・・なんて・・・何言ってんだ?俺?」
 「・・・・」
 紅蘭の返事は無い。かわりに肩の震えが徐々に大きくなリ、姉妹には背中全体が引き攣る様に上下し始めた。そして
 「・・・っくっく・・・ふはは・・・あっはっはっははははぁ〜!!!!」
 と、紅蘭はまるで破裂するような勢いで笑い始めた。そしてぽかんとする大神の前に向き直ると、笑いすぎて流れてくる涙を指で拭いながら、更に笑い続けた。
 「ははは・・・嘘や!うそうそ!!うち何も喋ってへんもん!ただ『お好み焼き食べよ』って・・・くっくくく・・・聞いただけやで。なのに・・・きゃはははは!!あんなん言われたらもう黙ってこらえてられへんよ!大神はんってほんとに・・・・ぅ〜っぅはははっ!!あ〜お腹痛い〜!」
 確かに未だに笑いつづけている紅蘭のその手には、いつの間に買ってきたのか、紙皿に乗った二枚のお好み焼きが湯気を立てていた。
 「やれやれ、笑わかしてもろたんや。お詫びせんとな。はい、あ〜ん」
 「〜〜☆;;;」
 紅蘭が箸で千切ったお好み焼きの切れ端を、大神の口の前に運んだ。大神は未だに何ともしがたい表情で紅蘭を見つめていたのだが、紅蘭の顔と箸の先を何度か見比べて、ややぶっきらぼうに大口を開いた。
 ぱくっ。
 もむもむもむもむ・・・・
 ごっくん。
 「どない?美味い?大神はんの好きな豚玉やで?」
 「・・・紅蘭」
 「はいな♪」
 「お茶」
 「ほいきた♪」
 大神は、紅蘭の顔も見ずに器を受け取ると、天を仰ぐようにして一気に流し込んだ。買ったばかりの熱いお茶は火の玉となり、大神の食道から胃袋へと染み渡ってゆく。
 「大神はん、美味しい?」
 紅蘭がもう一度聞いてきたので、大神は仕方なさそうに、なるべく真正面にならないように体の向きを紅蘭の方にむけ、盗み見るような視線で紅蘭を見た。
 先程の涙声からは想像も出来ない、紅蘭の眩しいほどの笑顔。
 その向こうに、照りつける太陽と抜けるような夏の空。
 二人を取り囲む、祭りの前の喧騒とはしゃぎ回る子供達の声。
 唇に、甘辛いお好み焼きのソースの味。
 ・・・俺の守るべき帝都、か・・・
 大神は紅蘭からお茶をもう一杯注いでもらうと、今度はそれを満足そうにすすりながら答えた。

 「まぁ、悪くないって感じかな」

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